ACを克服したい当事者記録

26歳でACからの脱却目指してカウンセリング中。当事者がどうやってACから抜け出すかを記録します。

27歳OL ADHDの診断を受ける

こんにちは。

ACのちょうちょです。

 

今日は依存症でもACでもなくADHDの話をしようと思います。

 

私は、思い返せば忘れっぽい子でした。

ランドセルからその日渡されたプリントを出して母親に渡す、たったそれだけのことがどうしてもできませんでした。

いつも底にぐちゃぐちゃになったプリントがあったし、教科書などの持ち物を忘れてしまうことも多く、笑い話ですが仲の良かった友人にはドラえもんのドラリーニョとあだ名をつけられてからかわれたりました。

 

中高時代は数学などのケアレスミスとしてその特徴を存分に発揮し、

社会人になってからは作成する書類でミスを連発しお局様に嫌味を言われちゃったり…(笑)

 

そんな私が人生で10年近くやり残してきたことが、

「きちんとADHDの診断を受けること」でした。

 

10代のころに連れていかれた精神科で検査の結果ADHDと診断されるも

親がそれを受け止められず、放置してきてしまったことだったのです。

 

今回私はまず病院の選び方として、ADHD当事者の知り合いが通う病院を選びました。

昔、母の通うメンタルクリニックで母の主治医に傷つけられたトラウマがあり、特にメンタル系の分野においては医療不信があるため、少しでも信頼できる病院選びをしました。

 

メンタルクリニックでは、下記の順番で診断をしてもらいました。

 

①成育歴のヒヤリング

1時間ほどかけて丁寧に成育歴をヒヤリングしてくれました。

そのうえで、どのようなことで困っているためにADHDを疑っているかを確認してもらいました。

 

②検査の事前説明

別日に30分ほどかけて、検査の事前説明を受けました。

私が今回受けた検査はMSPA(Multi-dimensional Scale for PDD ADHD)というものです。

検査の前に、自分でシートに事前に回答をします。

またできれば自分以外の人からも別シートで被検査者について回答してもらえるかと打診を受けました。

私は今回は両親にはまだADHDの検査を受けることを話すことができず、自分で記入したもののみを用意しました。

 

③検査

事前に用意したシートの記入内容をもとにカウンセラーの方と、その内容を深堀りします。

具体的にどのようなことがあったか、どのような特徴を持っているかを確認しました。

またシートの質問内容の不明点もその場で説明してもらいました。

 

④検査結果の報告

検査の約1か月後に結果を聞きに行きました。

特徴の説明だけでなく、その組み合わせによってより困難が生まれている部分などの説明を受けました。

私の場合は「不注意」と「こだわり」の組み合わせで、外部刺激に弱く、自分のペースやルーティンを大切にしたいこだわりがあるため、突発的な事柄が飛び込んできた時にストレスを強く感じ、不注意がより顕著になる可能性があるという説明を受けました。

さらに、どのような対応策が考えられるかの例なども頂き、今後生きやすくしていくヒントを得られました。

 

今日結果を聞いてみて、私はまず長年抱えてきた課題に向き合えたため、肩の荷が下りた気がしました。

これまで困ってきたことはやっぱり私のだらしなさではなかったのかという安心感もありました。

 

やっとこれで次のことが考えられる。

もっと言えば、今まではこれまでと現在の困りごとだけについてを考えていましたが、今後自分に起こりえることも知ることができたのは大きな収穫でした。

マイペースを乱されることに弱い私は、例えば今後昇進して部下ができたときに、部下から次から次へと声をかけられるようになると強いストレスを抱えるようになるかもしれません。

また、子供ができたらイレギュラーの連続でしょう。その時人より強いストレスを感じるかもしれません。

今それがわかっていれば、自分一人でできる対策について考えることもできるし、周囲の助けを得るために私がどのような特性があるかを説明すればいい意味で周囲も割り切って接してもらえる可能性があります。

 

そして、今日心に残っているのは

「普通の人と同じになろうとしなくていい」

という先生の言葉でした。

 

今まで「普通の人」になろうとして頑張ってきてしまいましたが、その苦しい努力ではなく、自分の特徴とうまく付き合うように頑張ればいいのかと思えました。

「あなたは10のミスを0にするまで頑張りそうに見えるけど、10が5になれば十分だと思えばいいんだ。いい意味で割り切って、変えられるものと変えられないものの境界線を引けるようになるといいね。そういう賢さを持てるようになるといいね。」と言われて、気持ちが楽になりました。

 

私は「不注意」なので「注意力」のリソースは限られています。

その限られたリソースを上手に分配する方法は、同じようにADHDでありながら社会人やっている先輩から学べばいいのです。

 

私は今ADHDの問題を向き合う第1歩を踏み出したにすぎません。

でも今までできなかった自分のケアをできる喜びを感じつつ、今後もこの特徴と一緒に生きていこうと思います。

自分の世話を自分でし始めたら親への恨みが小さくなってきた話

こんにちは。

ACのちょうちょです。


突然だけど私の中には私が小さい頃に親に大事にして欲しかったもう1人の自分がいる。

その子は親からの対応で傷ついたので、同じようなシーンで同じような反応をする。


うちの母はよく

「私の気持ちなんて誰もわかってくれない」

「私には誰も感謝しない」

と言っていた。

当時の私は、母の気持ちを理解して、感謝の気持ちも伝えなきゃ!と思っていた。

でもどんなにわかろうとしても、たとえ親子であっても、所詮立場の違う他人。全てを理解することはできないし、母と100%同じ気持ちになることはできない。

なので最後には結局、

「やっぱり誰もわかってくれないし、感謝してくれない」

と言われてしまうのだ。

時には母の返して欲しい返事とは違うことを言ったりやったりして、善意の行動に対してブチギレられることもあった。


そうやって育った私は、いつも会話の正解を探すようになった。

この人の今かけて欲しい言葉は何か。

なんと言えば満足してもらえるか。

正解なんてそもそもないものを探し求める結果、何を言えばいいかわからなくなって、雑談でさえ詰まってしまう。

言いたいことは喉元にあるのに、それが口にできない。

これが結構しんどくて、大学生くらいの頃からもう10年近くこうしてうまく人と話せないことについて悩んできた。


他人は私の親とは違う人間だから、上に書いたようなリアクションをするとは限らない。

それでも私はいつも正解探しをしてしまうのをやめられないのだ。


でも、こんなことを考えている時、今までの私なら

「私をそんなふうにしやがった親に腹が立つ!許せない!」

などと思ってさらに苦しい切ない気持ちになっていたけれど、今夜はそうじゃないことに気がついた。


今困っていることには変わりない。

でも、困り事を生み出す原因になっている親への恨みが小さくなっているのだと思う。


何が私を変えてくれたのか。

それは自分の世話を自分でできると信じられるようになったからじゃないかなと思っている。


私は高校生の頃、発達障害の診断を受けたことがあった。母はその診断を否認して、その時だけは通院を中断させてしまった。

おそらく私の心の中にはその時に、自分の症状と向き合ってもらえなかった見捨てられ感がずっと残っていた。

数ヶ月前、そんなことを思い出して、仲間の力を借りて病院に繋がった。


このことはただ医療を受けられる以上の効果があったのではないかと思う。

それが自分の育て直しだ。

当時寂しかった気持ちに、今の私が寄り添ってみる。

そうやって癒されたことが成功体験になって、また他の見捨てられた経験も、今の自分が寄り添ってあげられると信じられるようになる。

自分と、仲間やグループ、12ステップの手助けを受けて、今も残っている見捨てられ感に対処できるから、親への恨みの気持ちが小さくなってきたのではないかと思う。



他人へ割くエネルギーを減らせたら、今度は自分の欠点を手放すことにそのエネルギーを回すことができる。

だから私のこれからやるべきことは、ありのままの自分の発言をしても、当時のような怖い経験はしないと身をもって理解することだ。

頭は真っ白になるし、どんな受け答えをしても頭の中に住んでいる親に

「その受け答えはまずかったんじゃないか」

って言われるし、結構骨が折れるけど諦めないで行動し続けていくとしよう。

自分の世話を自分でし始めたら親への恨みが小さくなってきた話

こんにちは。

ACのちょうちょです。


突然だけど私の中には私が小さい頃に親に大事にして欲しかったもう1人の自分がいる。

その子は親からの対応で傷ついたので、同じようなシーンで同じような反応をする。


うちの母はよく

「私の気持ちなんて誰もわかってくれない」

「私には誰も感謝しない」

と言っていた。

当時の私は、母の気持ちを理解して、感謝の気持ちも伝えなきゃ!と思っていた。

でもどんなにわかろうとしても、たとえ親子であっても、所詮立場の違う他人。全てを理解することはできないし、母と100%同じ気持ちになることはできない。

なので最後には結局、

「やっぱり誰もわかってくれないし、感謝してくれない」

と言われてしまうのだ。

時には母の返して欲しい返事とは違うことを言ったりやったりして、善意の行動に対してブチギレられることもあった。


そうやって育った私は、いつも会話の正解を探すようになった。

この人の今かけて欲しい言葉は何か。

なんと言えば満足してもらえるか。

正解なんてそもそもないものを探し求める結果、何を言えばいいかわからなくなって、雑談でさえ詰まってしまう。

言いたいことは喉元にあるのに、それが口にできない。

これが結構しんどくて、大学生くらいの頃からもう10年近くこうしてうまく人と話せないことについて悩んできた。


他人は私の親とは違う人間だから、上に書いたようなリアクションをするとは限らない。

それでも私はいつも正解探しをしてしまうのをやめられないのだ。


でも、こんなことを考えている時、今までの私なら

「私をそんなふうにしやがった親に腹が立つ!許せない!」

などと思ってさらに苦しい切ない気持ちになっていたけれど、今夜はそうじゃないことに気がついた。


今困っていることには変わりない。

でも、困り事を生み出す原因になっている親への恨みが小さくなっているのだと思う。


何が私を変えてくれたのか。

それは自分の世話を自分でできると信じられるようになったからじゃないかなと思っている。


私は高校生の頃、発達障害の診断を受けたことがあった。母はその診断を否認して、その時だけは通院を中断させてしまった。

おそらく私の心の中にはその時に、自分の症状と向き合ってもらえなかった見捨てられ感がずっと残っていた。

数ヶ月前、そんなことを思い出して、仲間の力を借りて病院に繋がった。


このことはただ医療を受けられる以上の効果があったのではないかと思う。

それが自分の育て直しだ。

当時寂しかった気持ちに、今の私が寄り添ってみる。

そうやって癒されたことが成功体験になって、また他の見捨てられた経験も、今の自分が寄り添ってあげられると信じられるようになる。

自分と、仲間やグループ、12ステップの手助けを受けて、今も残っている見捨てられ感に対処できるから、親への恨みの気持ちが小さくなってきたのではないかと思う。



他人へ割くエネルギーを減らせたら、今度は自分の欠点を手放すことにそのエネルギーを回すことができる。

だから私のこれからやるべきことは、ありのままの自分の発言をしても、当時のような怖い経験はしないと身をもって理解することだ。

頭は真っ白になるし、どんな受け答えをしても頭の中に住んでいる親に

「その受け答えはまずかったんじゃないか」

って言われるし、結構骨が折れるけど諦めないで行動し続けていくとしよう。

10年越しに発達障害と向き合うこと(12ステップ ステップ6)

こんにちは!

ACで恋愛依存のちょうちょです。

 

先日私は自分が発達障害の診断を受けたことがあったことを思い出しました。

高校生の頃に行ったメンタルクリニック

あれよあれよという間に心理テストを受け、

「あなたはADHDです」と言われ、

薬をリーフレットを受け取って帰ってきたはいいものの、

私を連れて行った母は

「あなたは発達障害ではない」と診断を否定し、

結局服薬も通院もせずに10年間が過ぎました。

(正直これはこれで親からの医療的なネグレクト

じゃないかと思うのですがそれはまた別のお話で…)

 

ここ最近はそのことも忘れていましたが、

先日会社の人にいただいたケーキを直前まで

持って帰ろうと思っていたのに、

結局忘れて帰ってきた時にハッと思い出したのです。

「ケーキ持って帰る」と書いた付箋を

パソコンにも張っていたのに忘れた。

昔からそうだ。

直前まで覚えていても、何か邪魔が入ると

すっかり忘れてしまう。

そういえば、私はADHDだって診断されたことあったなと。

 

このタイミングでそれを思い出したのは、私のステップ6に必要だからではないかなと思うのです。

 

ステップ6は性格上の欠点を神に取り除いてもらう準備が整うステップ。

 

そのためには自分の困りごとが欠点なのか、

何が短所なのか注意深く調べていく必要があります。

 

ステップ4・5でも調べましたが、見落としはないか。

そんな準備をしている最中に上記のことを思い出したのです。

さらに、ステップ5では自身の欠点だけでなく長所も発見しました。

だから今まで10年間闇に葬ってきた真実を知ることも

もう恐れなくていいのです。

だって私はありのままで生きていていいんだから。

 

さて、私は結局ADHDなのかどうかを知るために

私には頼みにできる仲間がいました。

(回復界隈には発達障害の方も多くいて心強い!!)

仲間に信頼のおける医療機関も相談し、昨日病院に行くことができました。

10年間無視してきた自身のケアを10年ぶりに再開したわけです。

 

今後はテストを受けてどの程度のADHDなのかを診断していきます。

それがわかることによって、私は自分がケアレスミスをしたときなどに

必要以上に自分を責めなくて良くなると思います。

また対応策もたくさんの先ゆく仲間に教えを請うことができます。

もし全くADHD傾向が見られなかった場合も

別の生きづらさの要因を探せばいいだけです。

 

だからどちらにせよ検査することは前進することだと信じています。

 

不足していた自分の世話を自分でできるようになっていくこと。

そのために仲間や医療・周囲の人の力を借りれるようになること。

こうやって本当の意味で自立していくのかななんて感じている

早春の日曜日でした。

女性のパワーゲームから降りたい

こんにちは!

ACで恋愛依存のちょうちょです。

 

さて、突然ですが私は離婚経験があります。

つまりバツイチです。

その事実が私が自分自身をダメな奴だと自責する一因になっていました。

なぜなら私はこれまで、離婚したことのある人はそれがどんな理由であれ、その人の人格に問題があるに違いないと思い込んでいたから。

そして、そんな人は見下していいのだと無意識下で思っていました。

だからその意識が自分に向いたときに、苦しみが生まれました。

私は人から見下されてもおかしくない人なんだ。離婚したから。

そんな考えを止めることができませんでした。

 

この見下すという意識が、私が参加してしまっているパワーゲームのために生まれているように感じます。

 

パートナーがいるか。

結婚しているか。

子供がいるか。

いい会社に勤めているか。

パートナーはどんな職業の人か。

子供は優秀か。

 

そんな、個人の人格と関係のないただの「状態」で他人の人格を判断してしまう。それがこれまでの私の考え方でした。

素敵なパートナーがいれば、結婚していれば、子供が優秀なら、自分が他人よりも上である証明ができると無意識下で考えていました。

 

でもこの考え方は、他人から見た自分がどう見えるのかに基づいた自分の価値の測り方ではないでしょうか。

 

既婚者はのほうが優れていて、離婚経験者も独身もだめだという考えだとか、

子供がいるのはいいことだけど、デキ婚は褒められたことじゃないだとか。

 

そんな世間の声に縛られた人生で、自分の価値を他人の判断に委ねていては私は幸せにはなれないなって感じたんです。

だって私がバツイチなのは変えられない事実なのだから。

自分の価値は自分で決める。

ほかの人より上か下か、進んでいるかどうかなんて言う自分を幸せにしないパワーゲームからは降りてしまいたい。

 

結婚して子供ができて、その子を育て上げることを至上とする考え方は手放してしまいたい。

私が自分のことをいいと思える人生を歩んでいきたい。

そう思います。

 

それに私は自分が自分を見下し始めて、やっと今までどれだけの人を見下してきたか気づきました。

他人にとる態度は自分にとる態度の鏡写しでした。

だから他人に敬意を持つことは自分に敬意を持つことでもあると思います。

 

私のことを知らない誰かは、4か月スピード離婚の私を見て、ろくな人間ではないと私を見下す対象にするかもしれないけれど、それでも自分の大切にしたいことを曲げてまで焦って再婚はしないし、自分の悩みを粗末にしてまで子供を授かろうとは思えません。

 

私は少しずつ、今までどっぷりつかっていた見えないパワーゲームから降ります。

 

 

実家に帰れなかった私が帰れるようになるまでの話(後編)

こんにちは!

ACのちょうちょです。

最近、詰め込んでなかったつもりなのにやることを詰め込みすぎていたことに気づきました。

自分の負荷に鈍感なのはACあるあるだと思っています。

 

さて、今日は実家に帰れるようになるまでの話後編です。

 

前編は

omochimoching.hatenablog.com

 

 

をお読みください。

 

目次

 

 

5.自助グループにつながる

 

前章で他人に頼ることを覚え始めた私は、さらに頼る対象を広げて行きました。

具体的にはAC自助グループと恋愛依存の自助グループ2つにつながりました。

 

これは私にとって2つの大きな意味がありました。

ひとつは、自分と同じような苦しみを経験したことがある人と現実に関わり、共感を得て、支え合えること。

ふたつめは、先に繋がってきた仲間から、回復する経験の話を聞き、自分でも実践に繋げていけること。

 

アダルトチルドレンだという自覚を持った私でしたが、具体的にはどうしたらその生きづらさを手放して、今までよりもいい人生を生きていけるのか、あまりわかっていませんでした。

でもミーティングで仲間の話を聞き、自分の話をしていくうちに、私は感じたことを正直に話しても否定されない安全な場所を得られるようになりました。

そして、回復の12ステップというものがあることを知り、

ミーティング内で、ステップを使って回復してきた経験を聞き、

「ここで人生をなんとかしないとまずい」という最初の頃の思いから、12ステップに取り組んでみようと決意しました。

 

6.回復の12ステップに取り組む

 

回復の12ステップとは、依存症の方の回復や、ACからの回復に効果があると言われている12の行動をしていく回復プログラムです。

主に、スポンサーと呼ばれる、これまでに12ステップをすでにやったことがある方から手助けを受けながら、ワークをやって行きます。

どんな内容なのかは、おそらくいろんな専門書の方が詳しいでしょうから割愛します。

 

私は7月ごろから恋愛依存の回復のためのステップワークと、ACからの回復のためのステップワークに取り組んでいます。

 

ステップワークをする秘訣は1人でやらないことだとされています。

自分自身の今まで向き合ってこなかった深い部分や、あえて見ないようにしてきた記憶と向き合うことになるので、苦しさもあるからです。

 

でも、ここまで12ステップ中ステップ5までを終えて、私はこのステップを取り組む価値があると感じています。

それは、仲間から愛情を持って接してもらえて、自分自身思いやりでお返しする経験ができるからです。

 

アダルトチルドレンの私にとって、それは本来なら子供の頃に経験してきたかったことでした。

でも、それを今経験することで、大人になった自分を自分で癒していけることがわかりました。

そして、今までの生きづらかった生き方を少しずつ手放して、もっと自由に生きられるように自分自身を成長させていく、育て直すプログラムなんだなぁと感じています。

 

7.親と私の境界線が引けるようになる

 

これまでの6個のことをやってきてから、今までほど私は親との関わりが不快ではなくなってきました。

それは母も父も変化していると感じられたから。

 

でも、もしかしたらそう感じるのは、私の受け取り方が変わったからなのかもしれません。

 

今までの私は、親との境界線をお互いにはみ出しまくっていました。

親は私に過干渉し、私は自分の責任と親の責任を分けずに、自分が負うべき責任は親のせいにし、親が負うべき責任を無駄に背負っていました。

 

自分と他人の境界を健全に分けられるようになってきたから、負わなくていい親の責任を手放し、自分の向き合うべきこととだけ向き合えるようになってきたのかなと思います。

 

私自身健全な距離感を保てるように意識ができるようになったので、両親も私に踏み込みすぎないよう、気をつけてくれています。

 

そのようになったきっかけは、親との関係断絶を終わりにした時に

「親の理想の娘になる」

ことを諦めたからかもしれません。

 

私はずっと特に母を幸せにしてあげたいと思っていました。

そのためには、母の理想の娘でないと。

だからお嬢様学校の女子校に通い、良い大学に進学し、安定した会社に勤め、早く結婚して子供も産む。

そんな道筋を歩こうとしていて、自分の問題のせいで、「結婚」のところで躓きました。

 

そのおかげで、もう

「私の考える母の理想の娘の人生」

をやるのはやめたのです。

 

3ヶ月ほど親との接触を経っていましたが、その時付き合っていた彼と別れた時に、あまりに大きな喪失感と、依存症からの離脱症状で、親にも頼るしかない精神状況になりました。

意を決して電話をかけた時に、ずっと引っかかっていたことを話しました。

 

それは、

「お父さんとお母さんの理想の娘になれなくてごめん。離婚してバツイチになってごめん。」

ということでした。

 

これを口に出していうことによって、私は親の理想の人生を勝手に想像して生きていくことと決別できたんじゃないかなぁと思います。

 

理想の娘になれなくてごめん、というのは

これからもなれないけど、という気持ちもこもっていたんだなぁと思っています。

 

 

最後に

 

今は自分のための人生を1日ずつ歩くようにしています。

そして、親との境界線を引けるようになった

から、帰りたい時に帰り、帰らない時は1人の時間も楽しめるようになりました。

 

今までの私だったら、「帰ってこないの?心配だから帰っておいで」などと言われただけで罪悪感が湧いて、吸い寄せられるように実家に帰っていましたが、今の私は同じ言葉をかけられても罪悪感も薄まり、帰りたい時に帰るのを実践できています。

 

1年前の自分には想像出来なかった変化が起きたことに、とても感謝しています。

そしてこれからも、親とちょうど良い関係でいられるためにも、自分を大切にしていきたいなぁと思っています。

 

実家に帰れなかった私が帰れるようになるまでの話(前編)

こんにちは。

ACのちょうちょです。

 

今日はACを自覚して回復に取り組み始めてから、両親との関係を改善して実家に帰れるようになるまでの過程を振り返りたいと思います。

私はいわゆる毒親育ちです。

でも両親のことはどんなことがあっても嫌いになれず、関係改善が目標でしたので、そのような立ち位置でお話しする事をご了承ください。

 

目次

 

前編

 

後編

 

5.自助グループにつながる

6.回復の12ステップに取り組む

7.親と私の境界が引けるようになる

 

 

omochimoching.hatenablog.com

 

 

1.人生を変えたいと思う

 

私は自分の苦しさと向き合うことから逃げてきました。

なんで私のお金でカウンセリングに私が通わないといけないのか。

悪いのは親なのに私が変わらないといけないのか。

 

でも離婚を経験して、

「ここで自分の人生を立て直さないと、私のこれからの人生はずっと変わらない」

と思いました。

 

今までいくら親が変わる事を願って、言い争って、傷ついても何も変わりませんでした。

だから、なんとか自分の人生を立て直す方法を探すことに決めたのが全てのスタートだと思います。

 

2.毒親本を読み漁る

 

昨年の年明けから、信田さよ子先生の本を中心に、いわゆる「毒親」に関しての本を読み漁りました。

 

・「アダルトチルドレン」完全理解

・カウンセリングで何ができるか

・さよなら、お母さんー墓守娘が決断する時

共依存 苦しいけれど、離れられない

・家族の悩みにおこたえしましょう

・母、娘、祖母が共存するために

・後悔しない子育て 世代間連鎖を防ぐために必要なこと

・ひとりで苦しまないための「痛みの哲学」

・母がしんどい

 

思い出せるだけで、半年で上記の本は読みました。

ここには「私のこと」が書いてありました。

 

同じ思いをする人がこんなに存在するのか、という驚きに圧倒されました。

読み進めるのに、胸が痛くて苦しい本もたくさんあり、泣きながら読んだのを覚えています。

 

読書していく中で、家族の問題を専門的に取り扱うカウンセラーにカウンセリングを受けようと決心しました。

 3.カウンセリングに通う

 

私は学生時代にもカウンセリングに通ったことがあり、何も解決する感じがせず、ただお金ばかり取られているような気がして通うのをやめてしまいました。

 

正直、カウンセリングって高い。

 

でも、自分の力だけではどうにもできない生きづらさをなんとかするなら、人生で今しかないと思い、2月ごろから、いくつか本を読んだうちで参考になったカウンセリングセンターに通い始めました。

 

初めは自分の出来事を泣きながら話していました。

なかなか友人の前ではどんなにつらかった話でも泣けなかったのですが、カウンセリングではその時の感情を否定されずに聞いてもらえて、たくさん涙が出ました。

 

そして、「アダルトチルドレン」という言葉に出会いました。

 

私はアダルトチルドレンだったんだ。

私の苦しみには名前がつくんだ。

私はアダルトチルドレンだと名乗っていいんだ。

 

そんな発見をしました。

 

家族のことだけではなく、恋愛のことも、仕事の悩みもなんでも聞いてもらいました。

今では私自身の回復を一緒に喜んでくれて、

私が見つけづらい自分の成功、成長を見つけ出してくれる、大切な回復のパートナーです。

 

4.関係を切る

 

3月ごろから、母から連絡が来ると気持ちが落ちつかなくなりました。

 

どんな内容のLINEでも(例え雑談でも)、連絡が来ること自体が嫌になってしまったのです。

そして、

「もう私の気持ちが落ち着くまで、連絡してこないでほしい」

と母に連絡をしました。

実質のプチ絶縁でした。

 

正直、絶望的な気分でした。

 

私は母に、私が望むように愛を与えて欲しかったのです。

でもこちらから関係を絶った以上、もうそれは望めません。

 

ただ、そのおかげでいいこともありました。

私はそれまでできなかった、母以外の人を頼ることをだんだんと覚えました。

 

1番信頼できる友人たちに、今の状況を説明して、

「あまりにつらいと死にたくなる。だから、LINEで一言死にたいって言わせてほしい。そしてその時は生きろとかなんでもいいから一言返してほしい」

と伝えました。

 

実際この連絡をしてから、本当に死にたいと言ったのは23回だったのですが、親以外に頼れる人がいることはとてつもない安心感がありました。

きっとこのタイミングで、私は少しずつ、

「母の娘」

と言う立場から抜け出し始めたんだと思います。

 

 

 

さて今日は前編として、

1.人生を変えたいと思う〜

4.関係を断つ

までをまとめました。

 

ここまででも、今までの自分とは4つも

異なる行動をしてきています。

引き続き次回も、自分の

「成功責任の追求」

うまくいった要因はなんだったのかを

振り返っていきたいと思います。