ACを克服したい当事者記録

26歳でACからの脱却目指してカウンセリング中。当事者がどうやってACから抜け出すかを記録します。

離婚して1年経ったので振り返り

こんにちは。

ACで恋愛依存のちょうちょです。


去年の12月に離婚成立してから1年経つのでその振り返り。


昨年の12/25は単なるクリスマスではなかった。

この日に離婚が成立し、元夫と74ヶ月の関係を終わりにした節目の日だった。


正直、正気でいられなかった。

楽しみにしていた結婚式はできなかったし、

私には離婚歴ありという経歴ができた。

それまでなんとか誤魔化してきた自分の

家族の機能不全な部分も見えてしまったので

実家にも頼れないし、

世界でひとりぼっちだと思った。


幸い、私のことを大切にしてくれる友人たちが

クリスマスも年明けも一緒に過ごしてくれた。

騒いで、楽しいことを詰め込んで

つらいことなんて何もなかったみたいに

振る舞わないではいられなかった。

それでも心の中に大きな穴が空いてるような

嫌な孤独感がずっとつきまとって消えなかった。


無理がきかなくなるまでの半年くらいの間は

私はいつもならありえないくらい活動的だった。


恋愛の傷は恋愛で埋める!とか言って

次の彼氏作りに奔走した。

体も心もしんどかったはずなのに、それを無視して

土日も遊びに遊びまくって、5月くらいから

徐々に具合が悪くなっていった。


カウンセリングも行き始めた。

それでもつらさが消えなくて、病院にも行ったし、

恋愛依存の自助グループ

アダルトチルドレン自助グループにも

つながったりした。


そして、底をついた。


このことが私の回復のはじまりだったのだと思う。


今思い起こすと、これまでの私は

「強迫的」に行動してきた。


離婚してつらいから、忘れるために行動するのをやめられない。

どんなに休みたくても、楽しいことを追い求めるのをやめられない。

もはや休みたいことを認識すらできない。


でも人間の心身には限界がある。

だんだんと、どんなに楽しいことをしていても忘れたいつらさから逃げきれなくなった。

実の親から欲しかった愛情が得られなくて

ひとりぼっちだという孤独感や、

今まで固執してきた自分の理想の人生から

外れてしまったことへの苦しさ・喪失感が

楽しいことの後に倍返しになって襲ってくる。


この時の唯一の解決策は、

逃げないこと だと学んだ。


自分の苦しさも悲しさも、どんな感情とも

寄り添うこと。

他のことに強迫的に取り組むことで

無視しないこと。


1人ではあまりにしんどくて無理だった。

でも私には自助グループで出会った仲間がいた。

彼女達は私に共感してくれて、一緒に進んでくれた。


そして、ずっとそばにいてくれた友人達がいた。

今までもずっとそばにいてくれたけど、

今年は特に1人で過ごすことに耐えられない時がたくさんあった。

そんな時、助けを求めたら一緒に過ごしてくれた。


他にも私のことを変わらず大切に思ってくれる友人がいた。

心の調子が悪いことをSNSに載せたら

連絡をくれた。


痛みと一緒にたくさんのことを誤魔化していたので気づけなかっただけで

私はひとりぼっちではなかった。

そんなことに今更気づくことができた。


愛情を追い求めなくても、私はもとからひとりぼっちじゃない。

それはきっと、私にも欠点だけでなく、他の人たちと同じように何にも変え難い長所があるからなんだと思う。


だからこれからの1年は、今私が持っているものを大切にして、私がひとりぼっちではないことを教えてくれた人達に感謝を返していく1年にしたい。


振り返った時にそう思えたのが

今年の私へのクリスマスプレゼントかな、と思う。


自分と向き合い続けたおかげで、つらいことから逃げるために恋愛、結婚してきた人生よりも今の方がずっと、たくさんの愛を素直に受け取ることができるようになってきた。


また1日、1ヶ月、1年とさらに成長して、素敵な時間を過ごせますように。

行動しないという選択をするという行動(12ステップ ステップ3)

こんばんは。

ACで依存症のちょうちょです。

 

今日はこの度あった出来事について、記しておきたい。

12ステッププログラムのステップ3では、

「自分の意志と生き方を自分なりに理解した神に委ねる決心を」する。

 

自分のコントロール欲求のうちいくつかを手放すとか、なんでも自分でやりたがる気持ちを手放すとか、そんなことを決心し、自分の意志で行動(反応)してしまいそうな時は、

「自分の意志ではなく、あなたの意志を行わせてください」と祈る。

 

祈るっていうのが、よくわからないながらやってみようと思うだけでもかなり効果があると思う。

 

私は自分自身の変化を感じ始めている。

 

先日母からLINEが来た。

「私のことをまだ毒親だと思っているのか?」

という内容だった。

 

その時私は友人と会っていた。

今までの私なら、即返事をしていた。

それは行動ではなくて、反応だ。

 

でも、その時は返信は後でだと思った。

そしてLINEを閉じた。

 

そしたら数時間後、母からまたメッセージが来た。

 

「ちょうちょは、今家族や私との距離感を作り直しているのに、私が配慮できなくてごめんね。」

とそこには書いてあった。

 

今までの人生で、母が自ら気づいて謝ってくれるまでのことがあったか。

同じように反応していたら、そんな連絡が来ることはなかったと思う。

 

私は私のことを優先して、自分を大切にした。

母は母自身と向き合う時間を得て、私への気持ちを整理できた。

お互いに良い方向に流れが向いたのだと思う。

 

さて、この時私がしたこと。

それは無意識下ではあったが、

あえて行動しないという行動を選択したのだと思う。

これはある意味で自分の意思で行動したのではなく、神に委ねたことなのではないか。

 

結局私は今まで、自分がしなくて良い行動をせずにはいられなくて(反応)、自分がしないといけない行動はしてこなかったのだ。

これからも私は自分で責任を持って取るべき行動と、そうでない反応を区別できるようになっていくだろう。

 

苦しくても、向き合いたくなくても、気楽に取り組み続けることに意味があるのだと、自分自身の変化から学び取ることができる。

 

180度人生をひっくり返す魔法はない。

それは痛いほど実感してきた。

だから、そんな魔法を探すのではなく、1歩ずつ焦らずに自分の行動を変えていくしかない。

 

頭ではわかっていても、世の中の流れは早いので置いていかれる気持ちになることもある。

それでも諦めずに取り組んでいきたいなぁーと思う。

昨日よりも少しでも良い今日、今日よりも少しでも好きな自分に明日なれるように。

そして小さな自分の変化をこれからも喜べますように。

今もまだ苦しむ仲間の変化も喜べますように。

人を愛することについて私が感じている恐れの話

こんにちは。

ちょうちょです。

 

数ヶ月、回復のステップワークをしてきて、今は4つ目のステップ、

棚卸しをしている。

 

依存症の棚卸しでは、

恨み、怒り・恐れ・性の3つの観点から

その問題があった人、物事をリストアップし、

自分の側の非を探していく。

自分の何が脅かされたために、その問題が起きたかを確認していく。

 

日曜日から昨日まで4日間、恨み、怒りの棚卸しをしていた。

それを抱いた人とどんなことがあったために怒りや恨みを抱いたのかを書き出すのだが、忘れていた激しい感情を思い出すことになる。

 

はじめは、表を作っていてむしろ書き出すことによってつらい感情を手放しながら進めていけるように思った。

 

でも昨日瞑想の時間をとっていた時に、忘れていた出来事の怒りがふつふつと戻ってきてしまった。

その思い出した出来事は、それをきっかけに離婚の引き金となり、感情の爆発としか言えないいくつかの出来事を引き起こした。

相手への怒り、そして思い通りにならないことへの絶望感。

そして形式上私の方に非が多かったと締めくくった一連の流れ。

 

1年経とうとしている今でも全てが許せない。

 

さて、本題に入ろう。

人を愛することについて私が抱いている恐れにとは。

 

当時私は何を求めていたのか。

それは、彼の優先順位の中で、私が特別に上位にいることだった。

私のために割く時間を優先して欲しかった。

時間を割くと決めたなら、約束を守って欲しかった。

 

でも、その彼と私の関係性は、吐き気がするほど私と母の関係性に似ている。

 

母は私に、特別に家族()のために時間を割くことを求めたし、母のために時間を割くと決めたなら変更は許されなかった。

 

私にはその要求が当たり前のことなのかがわからない。

私は自分が母にしたことと同じことを彼からされて深く傷ついた。

 

でもその傷つきすら、親から引き継いだものだとしたら、私はもう何を信じれば良いかわからない。

 

私はこれからの人生に私が愛すべき人が現れないことを恐れている。

でも同時に同じことを繰り返すことも恐れている。

だから愛すべき人が現れることも恐れている。

 

前向きに取り組み始めたはずのステップ4だが、なんかドツボにハマっている気がする。

 

せめて今日のミーティングまで、まずは生き延びる。

依存に戻らない1日を今日も続ける。

地に足がつかないところに来てしまったので、足がつくところに戻るとする。

ACの私に感情と感覚が戻ってきた話(12ステップワーク ステップ1)

こんにちは。

今日はACのちょうちょでお話します。

 

「感情や感覚をありのままに感じられるようになる事」

これはACの回復の途中に起きることのひとつだと思う。

 

今までの私は、楽しい時は楽しいし、幸せな時は幸せだし、つらい時や悲しい時はつらい、悲しいと思っていると思い込んでいた。

 

そんな私が1番否認していたものは

「疲れ」だった。

でも今までだって全く疲れないわけではなかった。

それは表に出してはいけない感覚だったから疲れられなかったのだと思う。

 

疲れた親が気付く「休みなさい」と言われる家庭に縛り付けられる

のループがあるからだ。

そしてその根底ある母の

「風邪ひいたりして熱でも出されたら、私が世話しないといけないから、病気にならないでほしい」

というメッセージを受け取ってしまい、私は自分のケアのためではなく、母の気持ちの平穏を保つために疲れることができなかったのだ。

 

私の家庭では、たとえこれを直接私に言わなかったとしても、父や弟が風邪をひいてダウンすると、母が上記のような発言をしたり、不機嫌になったりしていた。

 

そういうわけで、家庭に縛られたくなかった私は、疲れてはいけなかったのである。

 

私はアダルトチルドレン自助グループに繋がってから3ヶ月が経つ。

そして12ステップワークを始めて、ステップ1のワークを終えたところだ。

 

私は母の感情の責任を自分にあると信じてきた。

でも、それは私がコントロール出来ることではなく、母のコントロールすべきこと。

なぜなら私たちは他人を変えようとしても、そのような力は持っていないからだ。

 

このようなことを自覚するのがステップ1だ。

そしてステップ1に取り組むことで、家族の問題と自分の責任を切り分けて考えていいと思えるようになる。

母が、父が、弟が不機嫌になる責任を取らなくていいのだ。

 

そのように考えられるようになった結果、私が気づいたのは

「私は家族と過ごす時、疲れる」

「疲れたら自分ひとりで休む時間を取る必要がある」

ということだ。

 

まだ家族の感情をコントロールしようとする癖は抜けない。

これはあまり簡単ではないことだろう。

だから家族と過ごすと、気づかいしすぎて疲れるのだ。

 

先日気分転換にと、両親と3人で旅行に行った。

1日目の夕方くらいから、目がくるくる回るような感覚があった。

2日目の帰りの車の中では、夜よく眠れたにも関わらず、眠気が抑えられずずっと寝ていた。

 

私は「疲れていること」を自覚した。

そして帰りの道中両親に、今夜は一人暮らしの家に帰りたいことを伝えた。

それを無事両親も承諾してくれた。

 

これは機能不全でない家庭に育った人には当然のことかもしれないが、機能不全家庭で育った、いわゆる毒親育ちには大きな成功体験だ。

 

私のように、アダルトチルドレンはそれぞれに様々な感情や感覚を無い物として生きてきたと思う。

それはマイナスな感情であっても、私たち人間には必要な感情なんだと私は思う。

 

私には「疲れ」る感覚が戻ってきた。

だから疲れたら休む、そんな当たり前のことが今までできなかったのに、出来るようになった。

そして、それができたら、自分を大切にできたと思えた。

 

私たちの自尊心は今までの人生で踏みつけられ続けて、ペッチャンコである。

だから自分を大切にしてあげる、自分をケアするのに必要なマイナスの感情、感覚も重要なんだと思う。

 

さて、私はやり過ぎる癖があるので今日は洗濯機3回回して、1時間筋トレして、カウンセリングまで行ったから、疲れた。

日曜日の夕方から夜のここからの時間帯は自分を大切にするためにゆっくり過ごそうと思う。

 

回復は螺旋階段(恋愛依存からの回復)

こんにちは。

恋愛依存のちょうちょです。

 

恋愛依存はアルコールや薬物などの、物質依存と比べて「ソーバー」「クリーン」の定義が難しい。

特定の相手がいない状態でも、片思いなら恋愛に酔っ払っているし、別れた彼(彼女)に思いを馳せるのも、それを現実逃避の手段として使うならしらふではない。

 

交際相手と別れて、スリップしながらも回復に進んできたこの2ヶ月間、良くなったと思った瞬間も有れば、悪くなったと思う時もあった。

依存症の回復は螺旋階段に例えられる。

私がその螺旋階段を登ったこの2ヶ月を振り返ってみたいと思う。

 

別れてから1週間

 

何がつらいかって、精神面もあるが、何よりも身体症状だった。

吐き気が常に付き纏うので食欲も出ないし、食べたあともこれでもかとえずく。

恋愛のことを少しでも考えると吐き気が止まらないのは地味にダメージが深かった()

 

そして1日の感覚が異常に長かった。

元彼に連絡を取るのを耐えて過ごす1日はとても長かった。

別れてから1週間経った時は、やっと1週間かと命からがら生き延びた気持ちだった。

 

その1週間を乗り越えるのに、私は朝と夜、12自助グループのミーティングに参加していた。

そこで自分の話をしたり、もう回復している仲間の話を聞くことで希望を見出せたのが1番大きな手助けとなったと思う。

 

別れてから2週目

 

まだ吐き気も止まらないし、ご飯食べてる時にいきなり涙が止まらなくなったりしていて引き続きうつ状態

依存対象がなくなったら、それで自分を満たしていたから自分が空っぽになっちゃったことに気づいた。

 

お盆休みで何もやることがなくなったため、孤独感や虚無感を紛らわす方法が何もなくなってしまい、ここで苦しみのピークを迎えた。

1人では到底過ごせなかった。

この時に連絡したら家まで来てくれて、ただ一緒に時間を過ごしてくれた友達には一生感謝したい。

 

それまで連絡を3ヶ月間絶っていた親にも連絡を取った。それくらいなりふり構ってられない苦しさだった。

でも、そこから少し親との関係性も変わったように思うので、だんだんと物事がうまく回り始めたのがこの頃だったのかもしれない。

 

別れてから34週目

 

別れたばかりの時の苦しさは1ヶ月くらいで落ち着くよと教えてもらって、少しずつ楽になってきた時期。

吐き気が治まったり、自分のことを考え始めたり、本を読んだり、自分のための時間を取ることがだんだんとできるようになってきた。

 

一方で別れた相手の夢を見たり、元夫と実現しなかった結婚式をやる夢を見たりして、時々かなり動揺していた。

でも、夢を見るのも回復の途中で良くあることで、つらい時には祈りを使うことを教えてもらって「つらい」と「普通」を繰り返す時期だった。

 

1番良かったのはだんだんと時間の経つ早さが元に戻るのを自覚できたこと。

「いつも通り1週間があっという間に終わった」と思えたことで2週間前の自分とは違う状態だということを実感できた。

 

別れてから1ヶ月くらい

 

この人じゃなきゃダメだ!みたいな執着が薄れてくる。

誰かに依存したい気持ちは残っているけど、元彼に拘らないといけない気持ちはだんだんとなくなってきた感じ。

 

代わりに、それまで元彼の存在で誤魔化していた元夫への恨みや怒りが出てくる。

「何で私が思ったように愛してくれなかったの!?」という気持ち。

 

引き続き毎朝晩参加するミーティングの中でそんな話をしたところ、

「恨みや怒りは全部根っこに恐れがあるんですよ。だから、私は〇〇を恨んでいる、なぜなら私は〇〇を恐れているからです。と変換していく棚卸し作業をすると落ち着きますよ。」

と教えてもらい、何とか対処できた。

 

少しずつ気持ちの上下の少ない平穏な期間が長くなってくる時期だった。

 

別れてから1ヶ月半

 

今までの人生は感情のジェットコースターだったので、あまりに気持ちが波立たないのが逆に不安になる。

あと平穏すぎてつまんない、生きがいがないって思い始める。

 

でも、感情の上下にブンブン振り回されている方が不健全な状態なんだよね。

 

そして朗報は、今まで感じ取りづらかった「疲れ」がどっと押し寄せてきたこと。

1回横になったら起き上がれなかったり、数時間人と過ごすと目が回ってきちゃったり。

 

私は自分の疲れを抑圧している自覚はあったので、それをちゃんと感じ取る休むということができることに変化と成長を感じた。

 

別れてから2ヶ月前後

 

私が出来る限り避けたかったこと、それはスリップすることだ。

 

仲間と回復に向かって進んで、自分の気持ちを強く揺り動かすものがなくなってきて、1人の時間も楽しめるようになってきた時に、それはやってきた。

 

元彼との繋がりはInstagramサブアカウントLINEのみだ。

私からメッセージを送ることは決してなかった。でも、Instagramは私が投稿すれば彼はそれを見られる。

 

1ヶ月半はそのアカウントを見ることすら避けていたが、ある時ふと私はそこに久しぶりに投稿した。

「彼も見るかもしれない」と確かに考えた。

 

翌日、私は恋愛依存の自助グループに参加した。

そこには、回復しようと懸命に進む仲間がいた。

 

そんな仲間の姿を見て、私は今まで頑張って取り組んできた回復に背を向けるような事をして、何やってるんだろうと思った。

そして、サブアカウントを削除した。

 

元彼と別れた時みたいに、もっと悲しくなるかなぁと思っていた。

でも意外と気持ちは爽やかだった。

 

そうか、私は依存したい気持ちの残りカスみたいなものでまだ彼に縛られていたのかとそこで気づくことができた。

 

と、こうしてスリップを乗り越えたと思うじゃん?

 

その後すぐに、恋愛依存は自分の意思の力では止められないのを証明するかのように、この人めっちゃタイプだと思う人が現れた。

 

かなり気持ちが揺れ動いた。

この恋みたいな気持ちを手放したくない!と思った。

 

でも、また私は仲間に気付かされた。

私は自分の意思、感情を優先して、回復を後回しにしようとしているだけだ。

そして、そんな時どうしたらいいかも私はもう知っていた。

「自分の意思を手放せますように」と祈るのだ。

 

回復の12ステップと縁遠い人にとっては、バカバカしく見えるかもしれない。

 

祈るって、何に?神に?

そう、自分がなんとなくでも信じられる何かしらの神に、だ。

 

でも私にはこれはテキメンに効いた。

今日も誰かと恋愛をせず、誰にも恋に落ちず、自分と他人を尊重出来ること。

そんな平穏な1日を積み重ねるためには私の自我は強すぎるのだ。

だからその自我を手放して、自然の成り行きに任せることができますようにと祈るのだ。

 

そして今日現在

 

相変わらず恋する夢を見る。

相変わらず孤独感や寂しい気持ちもある。

でも私には回復するという決意がある。

多分これからも螺旋階段のように何回も恋に取り憑かれる自分と向き合うことになるだろう。

 

でもその11回ごとに、前回より1階分上の階にたどり着いた、今までとは違う自分がいるはずだと思える。

 

たった2ヶ月の期間でそう思えるようになれた、それに力を貸してくれた、仲間、友人、家族に感謝したい。

4ヶ月スピード離婚の私が結婚したかった理由について考えてみる

今日ふと働きながら、私がどうしてもなるべく早く若いうちに結婚したかった理由のひとつを思い出した。

 

それは仕事をしていて出会うライトなセクハラから逃げたいと言う理由だったのだが、よくよく考えてみると、実家から離れるという理由もあったのでそれぞれ説明していきたい。

 

  • セクハラ予防

「セクハラ」は軽いものから、人の心を完全に壊すものまでいろんなものがあると思う。

そして受け取る側によっても、それを不快と捉えるかどうかが違うと言う非常に難しい性質を持った現象だ。

 

私の場合は、明らかにアウト!というような、上下関係を利用して肉体関係を迫ったり、過剰なボディタッチを受けたりしたわけではない。

 

でもちっちゃな不快がめちゃくちゃ多かった。

例えば、

「ちょうちょさん、まだ独身ならA社の社長さん紹介しようか!?」

なんて得意先の人が言ってくるのは、余計なお世話もいいところである。

そのA社の社長が40代とか50代なら尚更だ。

お前が20代の時に20歳も30歳も歳上の異性を紹介されたらどう思うんだ??

 

社交辞令であっても随分失礼だなぁと思わずにはいられない。

でも不快さを訴えてどうにかしようとするほどのことではなかった。

このレベルの、苦笑いで返すのが精一杯な発言が社会には溢れていた。

 

「結婚したら辞めちゃうんでしょ?」

「部長に気に入られてるからなぁ」

「女性の営業の方が顔覚えてもらえるからね」

 

そんなありふれた言葉に少しずつもやもやが溜まっていた。

私にとって「既婚者」はそんな聞きたくない発言を全部跳ね除けられる魔法の代名詞だったのだ。

夫がいる、誰かのものである女性だからという後ろ盾が欲しかったんだろう。

 

 

  • 現家族から出たい

それは、10代の頃からの切実な願いだった。

 

私の母は精神的に病んでいて、家族はそれを支えるのが当たり前だった。

世の中にはもっとひどい家庭があることも知ってはいるけれど、私は今までの環境を生き抜くのに精一杯で、親のコントロールに溺れかけながら生きてきていた。

母に心配をかけないようにしつつ、納得いくような仕事や人生を送るのは不可能だった。

 

生まれ育った家族から籍を抜いて、新しい家庭を築くのだから、結婚は家族から逃れる最大の手段だと思った。

 

そこまでやれば流石に、彼女のコントロールの外に出られるに違いないと信じてやまなかった。

 

結婚さえすれば、家族と離れて新しい家庭を作って、自由を手に入れられると本気で信じていた。だから早く結婚したくて仕方がなかったのだ。

 

  • 結果、どうなったか

何も変わらないか、より悪化した。

 

結婚しても、アポイントの電話をかければ、

「デートのお誘いですか?」なんてクソみたいな冗談が返ってくる。

その人が私が既婚だと知っていてもだ。

 

実家との距離は、もう無理!と思って実家を飛び出して一人暮らしになった時以上に、

「親戚になったのだから」という理由で近づいてしまい、今までよりももっと母の気持ち、夫の気持ち、自分の気持ちの板挟みになる結果になった。

 

以上をふまえて、私は、何かから逃げるために結婚を選ぶことはお勧めしない。

自分が抱えている問題を「独身」という立場から「既婚」という立場に変わることで解決することはできなかった。

今なら、これは自分が向き合わないといけない問題だったんだなぁとわかる。

 

世間は女性に、就職して結婚して、そして子供を産み育てることを求める。

でもそのレールに乗ってやる義理はない。

 

これからの私は自分がそれをしたいか、自分の頭で考える。多分それをできるようになるのに、まだまだ時間がかかる。

でもそれでもいいと思いたい。

80年以上生きる人間にとって20代は、まだまだ人生の始めの方だ。

 

失敗したらやり直せばいいと教えてくれた自助グループに感謝しつつ、今回の文章を締めたい。

人生で止まれない私たちは回遊魚みたい

ACのちょうちょです。


私は今27歳。

同じような大卒で働く女性の置かれる環境としては、

・社会人になって5年目になって

・少しずつ周りが結婚し始めて

・あれ?私の人生は波に乗らなくていいの?

っていう焦りと悩みを感じる時期だと思う。


そんな中で、結婚と離婚を経験し、

自分がACであることの自覚を持ち、

そして恋愛依存症にもなっていることに気付いたのがこの1年間の出来事だ。


正直1年間で5年分くらいの変化を経験したんじゃないかと思う。

ちょっと休みたいって言うのが本音である。

最近やっとそんな自分を受け入れつつある。


特に恋愛結婚を求めている自分に対して、まずは半年、できれば1年、必要なら2年以上

自分と向き合って、今まで自分自身がどんな人生を生きてきて、これからどうやって行きたいのかをゆっくり考える期間にしてみることに前向きになってきた。


でもさ、これってかなり勇気ある決断じゃない?

ってすごくすごく思う。


そもそも私は今まではレールに沿って生きてきたのだ。

小学生の頃から塾に通わせてもらった。

中高は私立で部活も勉強もたくさんした。

大学も私立に行かせてもらった。

そしてごく普通の会社に入って、学生時代の頃から付き合っていた人と結婚して


思い描いた順調な人生そのものだった。


そして、世間もそのレールに乗ることを肯定する。

不登校にならずに学校に通い続けられること。

落ちこぼれず学業ができること。

1人で食べていける職業につくこと。

そうして「子育て」の段階から卒業した10代後半〜20代半ばからは、今度は自分で新しい家庭を築くことを求められて、結婚して、出産して、今度は自分が育てる側になっていくのだ。


本来ならこの流れの中で、

「子育てされている時」

に、自分がどんな人間なのか、何が好きで何が嫌いか、どうなりたいかを得ていくのだと思う。

でも私のような機能不全家族育ちは、自分のことを考える余裕なんてなかったんじゃないか。


私の母は共依存型で子供をコントロールするタイプだった。

私は結構な時間を、母親に幸せを感じてもらいたくてそのために割いてきた。

他にも虐待されていたりすれば、どうやって今日を生き延びるかで精一杯だろう。

夫婦喧嘩の絶えない家庭なら、その喧嘩から逃げて、自室で布団を被り、喧嘩の声が聞こえないように自分を守るので精一杯だ。


そうやって育った結果、

私がいま1番困ってしまうのが、

「ちょうちょさんはこれからどうなっていきたいの?」

と言う質問だ。

まだ「わかりません」と答えることしかできない。


今までそんなこと立ち止まって考える余裕がなかった。

ひたすら目の前のレールに沿って、次の駅に向かって走り続けることしかできなかった。

目の前の目標を達成するのだけで精一杯だった。


それに気づいた時、

「いったん頑張るのをやめたら、もう2度と働けなくなりそうだから、会社を辞められない」

と言ったブラック企業勤めで鬱気味だった元彼を思い出した。


ACの人、依存症の人、その他なんらかの原因で心を病んでいる人は人生を立ち止まれなくなった回遊魚みたいだ。

止まったら死んでしまう。


なぜなら、立ち止まったら、嫌でも現実と向き合わないといけないから。


でも立ち止まってみた私から伝えたい。

現実と向き合うための強烈な苦しみは一過性だ。

(その代わりその期間は死ぬか、生きるかと言うレベルまでメンタルがダウンしたことも加筆しておく。それでもそれもまた過ぎ去る。)


そして、何歳から立ち止まってみても遅すぎることはない。

自助グループでは何度も、

「もっと若いうちに自分と向き合ってあげればよかった」

と色んな年代の方から聞いた。


私もそう思う。


でも、これからの人生では今が1番若い。

今日の自分が1番若い。


それなら、永遠に他人や依存対象に苦しまされながら生きるより、泳ぎ続けることをいったんやめてみよう。


全てがバラ色に一転することはない。

でも今まで自分で握ってなかった人生のハンドルを少しずつ自分で握り始めるようになる。

レールが敷かれていなくても行きたいところに、いつかは自由に行けるようになると信じられるようになる。


ちなみに最後に、一部の回遊魚は泳ぐのをやめても死なないらしい。

人間は多分こっちに分類されると信じている。