ACを克服したい当事者記録

26歳でACからの脱却目指してカウンセリング中。当事者がどうやってACから抜け出すかを記録します。

回復は螺旋階段(恋愛依存からの回復)

こんにちは。

恋愛依存のちょうちょです。

 

恋愛依存はアルコールや薬物などの、物質依存と比べて「ソーバー」「クリーン」の定義が難しい。

特定の相手がいない状態でも、片思いなら恋愛に酔っ払っているし、別れた彼(彼女)に思いを馳せるのも、それを現実逃避の手段として使うならしらふではない。

 

交際相手と別れて、スリップしながらも回復に進んできたこの2ヶ月間、良くなったと思った瞬間も有れば、悪くなったと思う時もあった。

依存症の回復は螺旋階段に例えられる。

私がその螺旋階段を登ったこの2ヶ月を振り返ってみたいと思う。

 

別れてから1週間

 

何がつらいかって、精神面もあるが、何よりも身体症状だった。

吐き気が常に付き纏うので食欲も出ないし、食べたあともこれでもかとえずく。

恋愛のことを少しでも考えると吐き気が止まらないのは地味にダメージが深かった()

 

そして1日の感覚が異常に長かった。

元彼に連絡を取るのを耐えて過ごす1日はとても長かった。

別れてから1週間経った時は、やっと1週間かと命からがら生き延びた気持ちだった。

 

その1週間を乗り越えるのに、私は朝と夜、12自助グループのミーティングに参加していた。

そこで自分の話をしたり、もう回復している仲間の話を聞くことで希望を見出せたのが1番大きな手助けとなったと思う。

 

別れてから2週目

 

まだ吐き気も止まらないし、ご飯食べてる時にいきなり涙が止まらなくなったりしていて引き続きうつ状態

依存対象がなくなったら、それで自分を満たしていたから自分が空っぽになっちゃったことに気づいた。

 

お盆休みで何もやることがなくなったため、孤独感や虚無感を紛らわす方法が何もなくなってしまい、ここで苦しみのピークを迎えた。

1人では到底過ごせなかった。

この時に連絡したら家まで来てくれて、ただ一緒に時間を過ごしてくれた友達には一生感謝したい。

 

それまで連絡を3ヶ月間絶っていた親にも連絡を取った。それくらいなりふり構ってられない苦しさだった。

でも、そこから少し親との関係性も変わったように思うので、だんだんと物事がうまく回り始めたのがこの頃だったのかもしれない。

 

別れてから34週目

 

別れたばかりの時の苦しさは1ヶ月くらいで落ち着くよと教えてもらって、少しずつ楽になってきた時期。

吐き気が治まったり、自分のことを考え始めたり、本を読んだり、自分のための時間を取ることがだんだんとできるようになってきた。

 

一方で別れた相手の夢を見たり、元夫と実現しなかった結婚式をやる夢を見たりして、時々かなり動揺していた。

でも、夢を見るのも回復の途中で良くあることで、つらい時には祈りを使うことを教えてもらって「つらい」と「普通」を繰り返す時期だった。

 

1番良かったのはだんだんと時間の経つ早さが元に戻るのを自覚できたこと。

「いつも通り1週間があっという間に終わった」と思えたことで2週間前の自分とは違う状態だということを実感できた。

 

別れてから1ヶ月くらい

 

この人じゃなきゃダメだ!みたいな執着が薄れてくる。

誰かに依存したい気持ちは残っているけど、元彼に拘らないといけない気持ちはだんだんとなくなってきた感じ。

 

代わりに、それまで元彼の存在で誤魔化していた元夫への恨みや怒りが出てくる。

「何で私が思ったように愛してくれなかったの!?」という気持ち。

 

引き続き毎朝晩参加するミーティングの中でそんな話をしたところ、

「恨みや怒りは全部根っこに恐れがあるんですよ。だから、私は〇〇を恨んでいる、なぜなら私は〇〇を恐れているからです。と変換していく棚卸し作業をすると落ち着きますよ。」

と教えてもらい、何とか対処できた。

 

少しずつ気持ちの上下の少ない平穏な期間が長くなってくる時期だった。

 

別れてから1ヶ月半

 

今までの人生は感情のジェットコースターだったので、あまりに気持ちが波立たないのが逆に不安になる。

あと平穏すぎてつまんない、生きがいがないって思い始める。

 

でも、感情の上下にブンブン振り回されている方が不健全な状態なんだよね。

 

そして朗報は、今まで感じ取りづらかった「疲れ」がどっと押し寄せてきたこと。

1回横になったら起き上がれなかったり、数時間人と過ごすと目が回ってきちゃったり。

 

私は自分の疲れを抑圧している自覚はあったので、それをちゃんと感じ取る休むということができることに変化と成長を感じた。

 

別れてから2ヶ月前後

 

私が出来る限り避けたかったこと、それはスリップすることだ。

 

仲間と回復に向かって進んで、自分の気持ちを強く揺り動かすものがなくなってきて、1人の時間も楽しめるようになってきた時に、それはやってきた。

 

元彼との繋がりはInstagramサブアカウントLINEのみだ。

私からメッセージを送ることは決してなかった。でも、Instagramは私が投稿すれば彼はそれを見られる。

 

1ヶ月半はそのアカウントを見ることすら避けていたが、ある時ふと私はそこに久しぶりに投稿した。

「彼も見るかもしれない」と確かに考えた。

 

翌日、私は恋愛依存の自助グループに参加した。

そこには、回復しようと懸命に進む仲間がいた。

 

そんな仲間の姿を見て、私は今まで頑張って取り組んできた回復に背を向けるような事をして、何やってるんだろうと思った。

そして、サブアカウントを削除した。

 

元彼と別れた時みたいに、もっと悲しくなるかなぁと思っていた。

でも意外と気持ちは爽やかだった。

 

そうか、私は依存したい気持ちの残りカスみたいなものでまだ彼に縛られていたのかとそこで気づくことができた。

 

と、こうしてスリップを乗り越えたと思うじゃん?

 

その後すぐに、恋愛依存は自分の意思の力では止められないのを証明するかのように、この人めっちゃタイプだと思う人が現れた。

 

かなり気持ちが揺れ動いた。

この恋みたいな気持ちを手放したくない!と思った。

 

でも、また私は仲間に気付かされた。

私は自分の意思、感情を優先して、回復を後回しにしようとしているだけだ。

そして、そんな時どうしたらいいかも私はもう知っていた。

「自分の意思を手放せますように」と祈るのだ。

 

回復の12ステップと縁遠い人にとっては、バカバカしく見えるかもしれない。

 

祈るって、何に?神に?

そう、自分がなんとなくでも信じられる何かしらの神に、だ。

 

でも私にはこれはテキメンに効いた。

今日も誰かと恋愛をせず、誰にも恋に落ちず、自分と他人を尊重出来ること。

そんな平穏な1日を積み重ねるためには私の自我は強すぎるのだ。

だからその自我を手放して、自然の成り行きに任せることができますようにと祈るのだ。

 

そして今日現在

 

相変わらず恋する夢を見る。

相変わらず孤独感や寂しい気持ちもある。

でも私には回復するという決意がある。

多分これからも螺旋階段のように何回も恋に取り憑かれる自分と向き合うことになるだろう。

 

でもその11回ごとに、前回より1階分上の階にたどり着いた、今までとは違う自分がいるはずだと思える。

 

たった2ヶ月の期間でそう思えるようになれた、それに力を貸してくれた、仲間、友人、家族に感謝したい。