人を愛することについて私が感じている恐れの話
こんにちは。
ちょうちょです。
数ヶ月、回復のステップワークをしてきて、今は4つ目のステップ、
棚卸しをしている。
依存症の棚卸しでは、
恨み、怒り・恐れ・性の3つの観点から
その問題があった人、物事をリストアップし、
自分の側の非を探していく。
自分の何が脅かされたために、その問題が起きたかを確認していく。
日曜日から昨日まで4日間、恨み、怒りの棚卸しをしていた。
それを抱いた人とどんなことがあったために怒りや恨みを抱いたのかを書き出すのだが、忘れていた激しい感情を思い出すことになる。
はじめは、表を作っていてむしろ書き出すことによってつらい感情を手放しながら進めていけるように思った。
でも昨日瞑想の時間をとっていた時に、忘れていた出来事の怒りがふつふつと戻ってきてしまった。
その思い出した出来事は、それをきっかけに離婚の引き金となり、感情の爆発としか言えないいくつかの出来事を引き起こした。
相手への怒り、そして思い通りにならないことへの絶望感。
そして形式上私の方に非が多かったと締めくくった一連の流れ。
1年経とうとしている今でも全てが許せない。
さて、本題に入ろう。
人を愛することについて私が抱いている恐れにとは。
当時私は何を求めていたのか。
それは、彼の優先順位の中で、私が特別に上位にいることだった。
私のために割く時間を優先して欲しかった。
時間を割くと決めたなら、約束を守って欲しかった。
でも、その彼と私の関係性は、吐き気がするほど私と母の関係性に似ている。
母は私に、特別に家族(母)のために時間を割くことを求めたし、母のために時間を割くと決めたなら変更は許されなかった。
私にはその要求が当たり前のことなのかがわからない。
私は自分が母にしたことと同じことを彼からされて深く傷ついた。
でもその傷つきすら、親から引き継いだものだとしたら、私はもう何を信じれば良いかわからない。
私はこれからの人生に私が愛すべき人が現れないことを恐れている。
でも同時に同じことを繰り返すことも恐れている。
だから愛すべき人が現れることも恐れている。
前向きに取り組み始めたはずのステップ4だが、なんかドツボにハマっている気がする。
せめて今日のミーティングまで、まずは生き延びる。
依存に戻らない1日を今日も続ける。
地に足がつかないところに来てしまったので、足がつくところに戻るとする。