ACを克服したい当事者記録

26歳でACからの脱却目指してカウンセリング中。当事者がどうやってACから抜け出すかを記録します。

実家に帰れなかった私が帰れるようになるまでの話(後編)

こんにちは!

ACのちょうちょです。

最近、詰め込んでなかったつもりなのにやることを詰め込みすぎていたことに気づきました。

自分の負荷に鈍感なのはACあるあるだと思っています。

 

さて、今日は実家に帰れるようになるまでの話後編です。

 

前編は

omochimoching.hatenablog.com

 

 

をお読みください。

 

目次

 

 

5.自助グループにつながる

 

前章で他人に頼ることを覚え始めた私は、さらに頼る対象を広げて行きました。

具体的にはAC自助グループと恋愛依存の自助グループ2つにつながりました。

 

これは私にとって2つの大きな意味がありました。

ひとつは、自分と同じような苦しみを経験したことがある人と現実に関わり、共感を得て、支え合えること。

ふたつめは、先に繋がってきた仲間から、回復する経験の話を聞き、自分でも実践に繋げていけること。

 

アダルトチルドレンだという自覚を持った私でしたが、具体的にはどうしたらその生きづらさを手放して、今までよりもいい人生を生きていけるのか、あまりわかっていませんでした。

でもミーティングで仲間の話を聞き、自分の話をしていくうちに、私は感じたことを正直に話しても否定されない安全な場所を得られるようになりました。

そして、回復の12ステップというものがあることを知り、

ミーティング内で、ステップを使って回復してきた経験を聞き、

「ここで人生をなんとかしないとまずい」という最初の頃の思いから、12ステップに取り組んでみようと決意しました。

 

6.回復の12ステップに取り組む

 

回復の12ステップとは、依存症の方の回復や、ACからの回復に効果があると言われている12の行動をしていく回復プログラムです。

主に、スポンサーと呼ばれる、これまでに12ステップをすでにやったことがある方から手助けを受けながら、ワークをやって行きます。

どんな内容なのかは、おそらくいろんな専門書の方が詳しいでしょうから割愛します。

 

私は7月ごろから恋愛依存の回復のためのステップワークと、ACからの回復のためのステップワークに取り組んでいます。

 

ステップワークをする秘訣は1人でやらないことだとされています。

自分自身の今まで向き合ってこなかった深い部分や、あえて見ないようにしてきた記憶と向き合うことになるので、苦しさもあるからです。

 

でも、ここまで12ステップ中ステップ5までを終えて、私はこのステップを取り組む価値があると感じています。

それは、仲間から愛情を持って接してもらえて、自分自身思いやりでお返しする経験ができるからです。

 

アダルトチルドレンの私にとって、それは本来なら子供の頃に経験してきたかったことでした。

でも、それを今経験することで、大人になった自分を自分で癒していけることがわかりました。

そして、今までの生きづらかった生き方を少しずつ手放して、もっと自由に生きられるように自分自身を成長させていく、育て直すプログラムなんだなぁと感じています。

 

7.親と私の境界線が引けるようになる

 

これまでの6個のことをやってきてから、今までほど私は親との関わりが不快ではなくなってきました。

それは母も父も変化していると感じられたから。

 

でも、もしかしたらそう感じるのは、私の受け取り方が変わったからなのかもしれません。

 

今までの私は、親との境界線をお互いにはみ出しまくっていました。

親は私に過干渉し、私は自分の責任と親の責任を分けずに、自分が負うべき責任は親のせいにし、親が負うべき責任を無駄に背負っていました。

 

自分と他人の境界を健全に分けられるようになってきたから、負わなくていい親の責任を手放し、自分の向き合うべきこととだけ向き合えるようになってきたのかなと思います。

 

私自身健全な距離感を保てるように意識ができるようになったので、両親も私に踏み込みすぎないよう、気をつけてくれています。

 

そのようになったきっかけは、親との関係断絶を終わりにした時に

「親の理想の娘になる」

ことを諦めたからかもしれません。

 

私はずっと特に母を幸せにしてあげたいと思っていました。

そのためには、母の理想の娘でないと。

だからお嬢様学校の女子校に通い、良い大学に進学し、安定した会社に勤め、早く結婚して子供も産む。

そんな道筋を歩こうとしていて、自分の問題のせいで、「結婚」のところで躓きました。

 

そのおかげで、もう

「私の考える母の理想の娘の人生」

をやるのはやめたのです。

 

3ヶ月ほど親との接触を経っていましたが、その時付き合っていた彼と別れた時に、あまりに大きな喪失感と、依存症からの離脱症状で、親にも頼るしかない精神状況になりました。

意を決して電話をかけた時に、ずっと引っかかっていたことを話しました。

 

それは、

「お父さんとお母さんの理想の娘になれなくてごめん。離婚してバツイチになってごめん。」

ということでした。

 

これを口に出していうことによって、私は親の理想の人生を勝手に想像して生きていくことと決別できたんじゃないかなぁと思います。

 

理想の娘になれなくてごめん、というのは

これからもなれないけど、という気持ちもこもっていたんだなぁと思っています。

 

 

最後に

 

今は自分のための人生を1日ずつ歩くようにしています。

そして、親との境界線を引けるようになった

から、帰りたい時に帰り、帰らない時は1人の時間も楽しめるようになりました。

 

今までの私だったら、「帰ってこないの?心配だから帰っておいで」などと言われただけで罪悪感が湧いて、吸い寄せられるように実家に帰っていましたが、今の私は同じ言葉をかけられても罪悪感も薄まり、帰りたい時に帰るのを実践できています。

 

1年前の自分には想像出来なかった変化が起きたことに、とても感謝しています。

そしてこれからも、親とちょうど良い関係でいられるためにも、自分を大切にしていきたいなぁと思っています。