ACを克服したい当事者記録

26歳でACからの脱却目指してカウンセリング中。当事者がどうやってACから抜け出すかを記録します。

人生で止まれない私たちは回遊魚みたい

ACのちょうちょです。


私は今27歳。

同じような大卒で働く女性の置かれる環境としては、

・社会人になって5年目になって

・少しずつ周りが結婚し始めて

・あれ?私の人生は波に乗らなくていいの?

っていう焦りと悩みを感じる時期だと思う。


そんな中で、結婚と離婚を経験し、

自分がACであることの自覚を持ち、

そして恋愛依存症にもなっていることに気付いたのがこの1年間の出来事だ。


正直1年間で5年分くらいの変化を経験したんじゃないかと思う。

ちょっと休みたいって言うのが本音である。

最近やっとそんな自分を受け入れつつある。


特に恋愛結婚を求めている自分に対して、まずは半年、できれば1年、必要なら2年以上

自分と向き合って、今まで自分自身がどんな人生を生きてきて、これからどうやって行きたいのかをゆっくり考える期間にしてみることに前向きになってきた。


でもさ、これってかなり勇気ある決断じゃない?

ってすごくすごく思う。


そもそも私は今まではレールに沿って生きてきたのだ。

小学生の頃から塾に通わせてもらった。

中高は私立で部活も勉強もたくさんした。

大学も私立に行かせてもらった。

そしてごく普通の会社に入って、学生時代の頃から付き合っていた人と結婚して


思い描いた順調な人生そのものだった。


そして、世間もそのレールに乗ることを肯定する。

不登校にならずに学校に通い続けられること。

落ちこぼれず学業ができること。

1人で食べていける職業につくこと。

そうして「子育て」の段階から卒業した10代後半〜20代半ばからは、今度は自分で新しい家庭を築くことを求められて、結婚して、出産して、今度は自分が育てる側になっていくのだ。


本来ならこの流れの中で、

「子育てされている時」

に、自分がどんな人間なのか、何が好きで何が嫌いか、どうなりたいかを得ていくのだと思う。

でも私のような機能不全家族育ちは、自分のことを考える余裕なんてなかったんじゃないか。


私の母は共依存型で子供をコントロールするタイプだった。

私は結構な時間を、母親に幸せを感じてもらいたくてそのために割いてきた。

他にも虐待されていたりすれば、どうやって今日を生き延びるかで精一杯だろう。

夫婦喧嘩の絶えない家庭なら、その喧嘩から逃げて、自室で布団を被り、喧嘩の声が聞こえないように自分を守るので精一杯だ。


そうやって育った結果、

私がいま1番困ってしまうのが、

「ちょうちょさんはこれからどうなっていきたいの?」

と言う質問だ。

まだ「わかりません」と答えることしかできない。


今までそんなこと立ち止まって考える余裕がなかった。

ひたすら目の前のレールに沿って、次の駅に向かって走り続けることしかできなかった。

目の前の目標を達成するのだけで精一杯だった。


それに気づいた時、

「いったん頑張るのをやめたら、もう2度と働けなくなりそうだから、会社を辞められない」

と言ったブラック企業勤めで鬱気味だった元彼を思い出した。


ACの人、依存症の人、その他なんらかの原因で心を病んでいる人は人生を立ち止まれなくなった回遊魚みたいだ。

止まったら死んでしまう。


なぜなら、立ち止まったら、嫌でも現実と向き合わないといけないから。


でも立ち止まってみた私から伝えたい。

現実と向き合うための強烈な苦しみは一過性だ。

(その代わりその期間は死ぬか、生きるかと言うレベルまでメンタルがダウンしたことも加筆しておく。それでもそれもまた過ぎ去る。)


そして、何歳から立ち止まってみても遅すぎることはない。

自助グループでは何度も、

「もっと若いうちに自分と向き合ってあげればよかった」

と色んな年代の方から聞いた。


私もそう思う。


でも、これからの人生では今が1番若い。

今日の自分が1番若い。


それなら、永遠に他人や依存対象に苦しまされながら生きるより、泳ぎ続けることをいったんやめてみよう。


全てがバラ色に一転することはない。

でも今まで自分で握ってなかった人生のハンドルを少しずつ自分で握り始めるようになる。

レールが敷かれていなくても行きたいところに、いつかは自由に行けるようになると信じられるようになる。


ちなみに最後に、一部の回遊魚は泳ぐのをやめても死なないらしい。

人間は多分こっちに分類されると信じている。