ACは精神的に不健康な人を惹きつけやすいのか
私は彼とは背中合わせの関係性だと思っていた。
私が疲れた時には彼に頼り、彼が疲れた時には休める場所になる、そんな関係が理想だった。
それがいかに理想論で実際には彼に支えられっぱなしなのかを知って呆然とする今日この頃、彼が精神的に不健康だと認めざるをえなくなった。
「ちょっと相談していい?」
みたいな、軽い言葉から始まったと思う、彼の話。
彼は、仕事が激務だ。
周りの人が仕事で壊れていく姿も当たり前のような日常にいるらしい。
私には想像のつかない世界で生活している。
そんな日々を送るうちに、仕事がつらいことから希死念慮を抱くようになったという。
前々から、いつ死んでもいいと言ってはいた。
社会人になるまでに、楽しい事はやり尽くしたからもうやりたい事などないと彼は言う。
病んだ私から見ても、危ういなと薄々思っていた。
「ちょうちょさんは一時期よりだいぶ生きるのが楽になったように見えるんだけど、何が効いたの?」
そう聞かれた時、答えられた事は、彼が私に言ってくれたことをやっただけだと言うことだった。
・信頼のおける友人に話すこと
・1つの考えややり方に固執しないこと
・服薬で気持ちを和らげる自分も受け入れること
「それ、僕が言ったことばっかり」
と彼は笑ったけど、本当にそうなのだ。
自分の安全地帯を少しずつ広げることで、私は少しだけ健康になった。
その背中を押すのに、彼は大きな役割を果たしてくれた。
でも、彼は私と同じように友人に話したりする事はできないと言う。
そんなこと言わないで、君の事を大切に思う人は思っているよりもたくさんいるよって伝えたけど、どこまで伝わったかはわからない。
少し声を震わせて助けてと私に言った彼はどんなつらい世界で生きているのか、想像するだけで私は彼のもとに駆けつけてしまいたくなるが、幸い私たちは遠距離恋愛だった。
恋愛依存の傾向のある私にとってそれくらいの物理的な距離があることが唯一救いだ。
私は彼とは背中合わせの関係性だと思っていた。
全然違う価値観の2人が出会ってなんでかわからないけど惹かれて付き合ったと思っていた。
しかし、そうじゃなさそうだ。
まるで鏡の向こうの自分を見ているような気分になった。
だから、彼の話は「死にたい」のではなくて、
「誰か助けて」が本音だと信じたい。
さて、タイトルに戻ろう。
ACは精神的に不健康な人を惹きつけやすいのか。
一般的にはそうらしい。
では、彼が病んでいるのは私の責任か?
それは断じて違う。
おそらく出会う前から彼はそういう人間だった。
でも、どんなに隠そうとしてもにじみ出る不健康さは彼にも私にもあるのだろう。
私は、恋愛、ひいては自分の家庭をさらなる自分の安全地帯として欲しているが、健康な関係性を築く相手と出会う、もしくは彼と健康な関係を作り直すにはまだまだ時間がかかりそうだ。
でも仕方ない。
それすら受け入れて生きていくとしよう。
(なんてカッコつけた側から彼の事で頭がいっぱいになるのかもしれないが、1度書いて整理した事で、手放したこととする。)
過干渉型の親持ちACの私が学んだ甘えと依存の違い
カウンセリングに駆け込んだ2月、私はカウンセラーさんから、
「ちょうちょさん、甘えと依存は別物なんですよ」と教わった。
今日の学び①
— ちょうちょ (@papy_prism) 2020年3月8日
甘えと依存は似ている言葉だが別のことを言っている。
依存は、自分の問題を他人にも背負わせること。だから依存された側は嫌な気分になる。
甘えは良いコミュニケーション。お互いがいい気分になる時ように「頼る」こと。
自分の行動を、依存かな?甘えかな?と確認していきたいな。
正直偉そうなことをTwitterに書いているがあまり理解できていなかった。
私はどんなに仲のいい友人にも、心からの悩みやマイナスな気持ちを話すのがとても苦手だ。
母からずっと愚痴のゴミ箱にされてきた。
もうお願いだからその話はしないで。その話をして私に共感を求めないでと何度お願いしても聞き入れてもらえなかった。
でも、親子だから離れられない。だから聞くしかないだけであって、私は私の友人から同じことをされたらそっと距離を置くだろう。
私は友人にも知人にも自分の心の奥底の話をするのがとても怖くてできなかった。
母から私への行為は「依存」だ。
あなたにはわからないかもしれないけど、と
前置きをして、同じ気持ちになることを求めながら、過去のつらい話をする。
若い頃母が自分の両親に、少ない収入から仕送りをしていた話。
それなのに母の弟は何不自由なく生活していた不満。
そして、私がお腹に宿った時に父が慣れない海外生活で悩む母を守ってくれなかった話。
母の心の傷は尽きることない。
私には母を癒すことはできない。
でも母は無意識ではあるだろうけれど、私が母を癒すことを求めてきた。
「共感してほしい」は、「一緒に背負ってほしい」だった。
そうやって育った私は、
「人に悩みを打ち明けること」は
「相手に自分の問題を一緒に背負わせること」
だと思うようになったのだろう。
そんな私が周りに「甘える」ことを覚えたのは、私の周りにいる友人や、恋人や、職場の人のおかげだった。
離婚を経験して、母親と連絡を絶って、私は苦しくて仕方なかった。
死にたいとか、絶望感とか、自責や後悔でいっぱいになって身動きが取れなくなった。
そんな私に、周りの人は、ずっと
「つらい時は頼っていいんだよ」
「私に話してよ」
「1人で抱えようとしないで」
と、ずっとメッセージをいろんな形で送ってくれていた。
力を貸してほしいと言えるようになるまでには、かなり時間がかかったが、私は最近以下の3つができた。
①安心して自分の悩みを打ち明けることができる場を手に入れるために、ACのグループをはじめとして、いろんな自助グループに繋がった。
個人的にはTwitterも自助グループのうちの1つみたいなもので、近い悩みを持つ人と繋がって、自分が否定されない安全地帯を手に入れた。
②人生で1番信頼できる友人達に、死にたくなることがあることとその原因を打ち明けた。その上で、1人でどうしようもない時に、「死にたい」って言わせてほしい。そして、なんでもいいから「生きてほしい」と言う意味の反応をしてほしいとお願いした。
私の「死にたい」気持ちは、誰かに(できれば本当は母に)無条件に存在を肯定してほしいと言う気持ちなんだと思うのだ。
母から望むものが得られない以上、信頼を置いている友人からの肯定は何よりも「私が存在してていい」と思える方法だと判断した。
幸い彼女達はそんな私のお願いを受け入れてくれた。そのことだけですごく抱えていたものが軽くなる気持ちだった。
③職場の先輩に、仕事がうまくいっていないことを打ち明けた。そして、先輩だったらどんな対処をするか、先輩には私はどう見えているかを聞いた。
きっと今までの自分だったら、先輩からのマイナスの気持ちが怖くてできなかった。
人にわからないことをちょっと聞くことすらしんどかった。
でも、自分1人でできないことを「頼られる」のは頼られた側も嬉しいものなのだ。
それを教えてくれたのは1人の後輩だった。
彼女と別れたばっかりの後輩から「同じグループだった先輩全員に送ってるんですが、彼女にフラれました。つらすぎます。」とある夜LINEが届いた。
彼は「甘え上手」だ。
ちゃんと信頼関係が築けている人とそうでない人を見分けるのが上手く、その上で適切に人を頼ったり甘えたりできる。
実際、私は信頼されてるんだなと嬉しくなった。
「依存」は、された側は苦しい。
「甘え」は、された側は嬉しく、より関係が深まる。
その違いをやっと少し理解できたような気がする。
それでもまだまだ、気をつけないと私は他人に依存すると思う。
でも、自分の問題を自分で持ったまま、信頼できる人の力を借りることはできると思うのだ。
そんな成功体験を積み重ねて、人に甘えられる生きやすい人になりたいなと思う、今日この頃である。
凪のお暇とアダルトチルドレン
去年放送していた頃にドラマで凪のお暇を見た。
わけもわからず惹かれて、毎週夢中になって見た。
もちろんヒロインの凪を取り囲む男性達は高橋一生演じる慎二と、中村倫也演じるゴンさんの2人ともめちゃくちゃカッコよくて、普通に恋愛モノとして観ても面白いのかもしれないが、何が私の心を掴んで離さなかったのかを、ACの自覚を持って初めて分かった。
- ACはコミュニケーションの正解を探す
序盤から凪は会社の同僚との会話のシーンでどんなリアクションを取るのが正解なのかを探す。その中で一番良さそうな選択肢は凪自信が本当に言いたい言葉ではなく、なんとなく心が重くなるシーンだ。
でも、私もその気持ちがよくわかる。
安心できない人と話している時に、私はこの会話でどんな言葉を返すべきか、一瞬のうちに頭の中でたくさんの選択肢を検討し尽くすのだ。
その選択肢の中に良さげなものが見つからないことの方が多いのだが、そんな時は愛想笑いだ。
なぜか。
それは、その会話の中でいかにマイナスポイントを稼がないか、という自分のためのコミュニケーションだからだ。
究極相手に関心を持っているから会話している訳ではないのだ。
だから、愛想笑いとか凪の「わかるー…」で会話は終了してしまうのだ。
そして、一瞬のうちにたくさんの選択肢を検討し尽くすことを繰り返しているから人付き合いの後、ぐったりと疲れてしまうのだ。
「私は人との関わりが苦手だ」という自認のある人間の完成だ。
ACの人はそんな人が多いんじゃないかと勝手に思っている。
いつも親の求める正解の選択肢を探してきた。
外すと恐ろしい目にあった。
だからたくさんの選択肢を検討し尽くして、疲れ果てるそんな生活を繰り返している私達は凪に全力で共感してしまうのだろう。
- 「あんた人に興味ないのかと思ってたよ」
バーで働き始めた凪は、お客さんと会話が続かないことに思い悩む。
そんな凪にママがかけた言葉がこれ。
あんたは他人に興味ないから会話のボールを自分のところで止めちゃってる、と言われて
そんなことない!
と反射的には思うが、思い返すと、自分には興味を持って欲しいのに相手のことに興味ないんだと気づく。
私は他人からの愛情に飢えている自覚がある。だから他人から興味を持たれたい気持ちも共感するし、その気持ちが強すぎて他人に興味が持てていないというのもわかる。
だからこそ、凪がママからのアドバイスを聞いて、行動して、成功体験を得たシーンに心動かされたんだと思う。
私もこんな風にやってみたら、もっと楽しく他の人と話せるのかな?と思えるように描かれているのだ。
- 凪の苦しみの根源の母娘関係がリアルすぎる
ドラマや漫画が進んで行くにつれ、凪の母親が登場する。
私はこの母親に対する凪の感情が、自分と同じ過ぎて震えた。
そして特に漫画の中では繊細にその気持ちを分解していく。
凪の母親は何を見て何と接して何を考えて生きているのか。そんな母親に育てられた凪がどんな人間になって何に苦しんでいるのか。
私もそうなの!
ずっとそんな気持ちで生きていたの!と目の前に凪がいたら両手を掴んで言いたい気持ちになる。
- 凪のお暇が気づかせてくれたこと
漫画の6巻で凪はついに母親と対峙する。
お暇生活の中で、自分らしさを取り戻し始めた凪は、母親を目の前にすると1人ではそれを保つことができない。
なぜ会社を辞め、結婚する予定の彼氏がいるとウソをつき、ボロボロのアパートに住んでいるのかを母親に理解してもらうために、自分の家で2人で話をする凪は危うく負けそうだった。
そんなときに、これまで生まれ変わろうとしてきた凪にできた仲間達が、凪を助けに来てくれるのだ。
私はこのシーンを読んで、あまりにもつらすぎて泣いた後、しばらく立ち直れなかった。
こんなこと、現実では起きない。
タイミング良くうららちゃんは来てくれないし、元彼慎二が心配して来てくれたり、バーのママ達が押しかけてきてくれたりはしない。
でも、こんな味方が沢山いないと戦えないくらいに、ACにとっての親は悪い意味で大きな存在なのだ。
実際に凪が救われた次のページで、凪は母の住む田舎に帰った描写がある。
むしろ、こんなに支えがあっても勝てないのだ。
あまりに残酷にリアルすぎる。笑
それでも仲間を作ること。
助けてと言っていい人を1人でも多く作ること。
そんな人間関係をどうやったら作れるのか。
そんなことを凪のお暇は教えてくれる。
それがあれば戦える可能性と希望をくれる。
だから私は凪のお暇にのめり込んだのだと思う。
まだ未完結の作品なのでこれからも私は凪の生き様を追いかけるし、自分の励みにしていくと思う。
凪に一緒に戦って欲しい。
つらくて寂しくて悲しくてしょうがないことばっかりに見える、私の人生を私らしく生きる為にこれからも私は凪のお暇を応援したい。
アダルトチルドレンと少女漫画と私
1996年が初版なので、紹介されているマンガで私がピンと来るものはほとんどないのだが、(かろうじてbanana fishくらい)
女性は誰しもアダルトチルドレンにならざるを得ないこの社会で育っていて、だからこそ、同性の作者が描き、テレビや映画のような男性の手が加わりにくい少女漫画は女性たちの癒しになりうるという内容だ。
そんな中で、私は今の少女漫画も結構すごいぞと思う。
それが、りぼんで連載されている「きらめきのライオンボーイ」と「ハニーレモンソーダ」だ。
まず「きらめきのライオンボーイ」はなんといっても現役りぼんっ子だった私が当時読んでいたのは「愛してるぜベイベ」だった槙よう子先生の作品だ。
愛してるぜベイベも、母親が育て切れなくなった娘ゆずゆを突然主人公の男子高校生きっぺいの家に置いていくところから始まる、なかなかヘビーな家族モノである。
それに比べると、きらめきのライオンボーイは一見キラキラとした恋愛モノに見える。
ヒロインのみわは昔男の子に虐められていた過去があり、漫画の世界や自分の内側に閉じこもる癖があった。そんなみわが憧れの漫画のヒーロー星さまにそっくりな桐敦に出会い、変わっていくというあらすじだ。
親友の笑心から守ってもらうことしかできなかったみわが、自分の力で、桐敦に助けを求められるようになり、桐敦の力を借りずとも、ひとりで生きられる力を身に付けるのを目の当たりにして、勇気をもらえる。
「ハニーレモンソーダ」はもっとすごい。
こちらも一見よくありがちな地味子×人気者モノかと思う。
でも実際は虐められっ子だったヒロインの石森ちゃんが、人気者の界と出会って、界の手を借りて、周りの人との信頼関係を築いていくことができるようになっていく物語だ。
私が好きなのは、界の元カノである芹那が、石森に対して、
「私は界がいてくれて弱くなった。でも石森ちゃんは違う。界がいると強くなることができる。」
と感じるシーン。
界だけに依存して、界がいないと生きていけなくなった芹那と、界との出会いをきっかけに、それ以外の人との人間関係が広がっていった石森の対比が素晴らしい。
そして、いま読んでいる章で石森の父親の存在が石森の生きづらさの原因ではないかと仄めかすシーンが増えてきているのだが、現代を生きる小中学生をターゲットにした漫画に、石森の生きづらさの原因を親だと描こうとするのかと感銘を受けている。
まだ読み終わってはいないが、この後石森が父親との関係にどう決着をつけていくのかが見どころだ。
どちらにも共通するのは、彼女たちが外の世界とつながっていくことで強くなっていくこと。そんな姿に、人を信頼することでいかに生きやすくなるかを実感し始めた私は心打たれるものがある。
ここまで書いておいて残念なことではあるが、現実世界には、桐敦も界もいない。
私たちには、私達を守り、周りの人を信頼せず、うちに篭る自分を変えてくれるそんな都合のいい存在は現れないことの方が多いだろう。
それでも、人に話せない悩みを(特に家族の問題を)抱える全ての世代の女性にとって、少女漫画というのは、私たちが得られなかった憧れを与えてくれる癒しになり得るのだと思う。
自分の中に篭ってしまう女性が少しでも、自分以外の他人を信じ、頼る、その1歩の勇気を私たちは少女漫画から受け取ることができる。
それは何歳であっても受け取って許されるモノなのだ。
ちなみに、これらの漫画は幸い、「マンガmee」というアプリでどちらも無料で読むことができる。
興味を持ってくれる人がいれば、癒しを求めに、少女漫画を読んでみませんか??
自分の気持ちの波について考えてみる
6月に入り、今年も早くも折り返し地点を迎えようとしている。
そんな中で、私が母との連絡をやめてからもうすぐ3ヶ月だ。
たった3ヶ月。しかし、私にとっては意味のある3ヶ月だ。
目まぐるしく、これ以上傷つきたくないから私はもう2度と母とは会わないほうがいいという気持ちと、今後の人生でもう2度とあの家族には戻れないのかという絶望感と、そんなにひどいことをされたっけ?とけろっと自分の身に起きたことを矮小化してしまう瞬間が入れ替わる。
それぞれの瞬間で、何を考えているのかが本当にバラバラだ。
1番目の「もう会いたくない」は1番簡単で単純だ。
たくさん許せない気持ちもある。たくさん怖かった気持ちもある。たくさん悲しい気持ちもある。
だから新しく悲しんだり、がっかりしたりしたくないのだ。
「解毒」しようとしている人たちは、この何にも変えがたい、「家に帰りたい」気持ちとどう折り合いをつけて生きているのだろう。
2番目の家族に戻れない絶望感は、自分が我慢してでも親の愛情をある一定程度受け取ってきたからこその感情だと思う。
甘えたい、認められたい、愛されたい、そんな気持ちを埋めることを自分の未来に想像できない、でも自らしんどかった環境に戻るのかと葛藤することになる。
全てを許すことができなくても、ある一定の距離感で接することができる方が、私にとっては精神的に健全なのではないかと思うのだ。
ただ、そのためには自分の領域を侵されないようにするだけの強さが必要なのだと思う。
そうできる、強い自分になるにはまだもう少し時間が必要そうだ。
そして、3番目の、自分の身に起きたことはそんなにしんどいことだったか?と思う時が1番楽ではある。
実際は私のエピソードを聞いた人がややひいてしまうくらいにはめちゃくちゃな経験をしているのだが、それをあまり自分のこととして受け入れない解釈をしていると、苦しまないで済むのだ。
でもその分、少し自分の気持ちとして悲しかった気持ちや、許せない気持ちを受け取り始めると、ずーんと気持ちが沈んでしまう。
まだ癒えていない傷に気付いてしまう。
だから、楽な時も、わりといつも気持ちの揺り戻しにビクビクしている。
今日は解決策も何も考えるのはやめて、今の自分の状態をただ記録するだけ。
でもいつかの自分がこの文章を読んで、回復できているねと思えれば、それで十分なのだ。
恋愛してみたらメンタルが想像以上にやられていることに気づいた
離婚から4ヶ月で、あっという間に彼氏ができた。
正直なところ、元夫と付き合っていた頃は、彼と別れたらもう一生私のことを好きになってくれる人はいないのではないかと本気で思っていた。
アホか、自分。笑
そんなわけないのに本気で思っていたところが不健全だと、そうじゃない実績を作って初めてわかる。
このような思い込みのために、自分を大切にしない人と長年付き合ってきた挙句に、自分が苦しんできたコミュニケーションスタイルで相手を苦しめたと考えると、もったいない気持ちでいっぱいだ。
そして、悲しいことに…
早くも今の彼を失ったらどうしようという不安でいっぱいになることがある。
今日は母との関係に悩む私が恋愛し直してみたらどうなったかをまとめてみる。
①付き合い始める前の苦しさ
私にはたくさん引け目がある。
まず離婚歴ありだ。
さらに親との関係整理中で、半絶縁状態だ。そんな私と永いお付き合いなんて相手に申し訳ないなぁと真剣に考えてしまう。
そのため、お相手に告白してもらってお付き合いするまでは本当に楽しかったのに、付き合うことになった瞬間に現実の自分の抱える問題が津波のように押し寄せてきて、一気に恐ろしくなった。
こんな自分、受け入れてもらえるのだろうか、という不安の気持ちからお付き合いがスタートした。
②自己開示するか否か
結局自分がどんな人かを話す上で、離婚した話は避けられないし、そうすると家族の話は避けられない。
ましてや、元彼から
「あんな母親がいるなんて聞いてなかった。何で話してくれなかったのか。」
とか言われてたから尚更話さなきゃいけないという強迫観念から離れられない。
どこまで自己開示するべきかは、嫌われるかもしれないとか、引かれるかもしれないという気持ちとの戦いだから、下手するとそれで頭がいっぱいになって何も手につかなくなる。
付き合って1ヶ月半、徐々に自分が抱える問題について、話をしている。
なんて言われるかわからなかったので不安だったが、
「話しづらいことを話してくれてありがとう」
「自分の生きてきた人生とは違いすぎて、完全に理解はできていないからまた聞くと思うけど、ちょうちょさんが言いたいことはわかったよ」
と必要な範囲はしっかり受け取ってくれた。
理論的に言えば相手との関係性を深めるのは、お互いの信頼感のもとに、自己開示し合うことが重要だ。
その中で、相手が自他を分離して私の置かれた境遇を理解しようと努めてくれることは本当にありがたいと感じる。
④カウンセリングで目が覚めた
自己開示がうまくいったら、今度はそのうち相手も私のことを好きじゃなくなってしまうだろうとそんな兆候は全くないのに不安で、めちゃくちゃ泣いて、そのあと半日動けなくなった。
いわゆる見捨てられ不安だ。
それからもこの考えが頭をぐるぐる巡って不安と憂鬱な気持ちが止まらなくなった。
そんなことをカウンセリングで相談した時に、
「ちょうちょさんは今まで、自分の気持ちを抑えることが当たり前になってたように話してて感じることが多かった。
だから、そんな風にマイナスの感情であっても表に出てくるのを聞いて、私は安心しましたよ。」
と言われた。
今まで、友人にも彼氏にも、何か分からないけどつらい、しんどいって話をした時に、人はそんなに早く立ち直れなくても普通だよと言葉をかけてもらっていたが、いまいちピンとこなかった。
気持ちはコントロールできるものだし、
全く関係ないことをやったり、
一度寝たりして、
マイナスな気持ちは整理してきていた。
今までそうやって折り合いをつけて生きてきた。
なんで今回は思い通りにならないの?
とすら思っていた。
なんでかなと省みると、ふわっと母の
「いつまでぐずぐず言ってるの」
という声が聞こえるので、これも母イズムな
考え方の1つだったのだろう。
そこで、試しに今まであえてあまり吐き出さなかった元夫への気持ちを改めて文字にしてTwitterに吐き出してみた。
一生懸命、綺麗な気持ちに浄化しようとしてきた彼への感情は恨みでいっぱいだった。
これも親への気持ちの整理と同じだ。
こうされたことはつらかった。許せない。
そういうマイナスの気持ちを一旦認めてあげないと、おそらく綺麗だった気持ちもうまく感じられないはず。
いろいろと我慢してしまった自分の責任と思ったことは一旦忘れよう。
こうやって吐き出したら、今の彼に感じている不安の元凶は、元彼への恨みつらみだった(笑)
ここで知れてよかった。
そうじゃなければ、今の関係を楽しめない。
もったいない。
今回みたいに棚卸ししないといけない感情はまだたくさんあって、それを自分のペースでゆっくり整理していく、そんな自分を褒めて、好きになれたらと思う。
(追記)
ここまでは2週間前の話なのだが、それからも不安がきれいさっぱりなくなるということはなかった。
何が不安がと考えて整理していった時に、しんどい事実に直面したが、書き残しておきたい。
私と母の関係は、コントロールされる側とする側の関係である。
母は自身の精神的な病や、親という立場を盾に私の行動をコントロールする。特に、そばに置いておくという方向性のコントロールが非常に強い。
そんな関係性の中で、私自身も人に言うことを聞いてもらいたい時のコミュニケーション手段として馴染み深いのがコントロールという手段になる。
だから、私が元彼にもそんなコミュニケーションをとっていたのだ。
実を言うと、自覚はあった。
でも認めるのはかなり厳しいことだった。母と同じことをしているというのは、自分がそれで苦しんできたからこそ、自分を許せなくなってしまう。
でも自覚はあったからこそ、ずっと元彼に対して引け目があったのだ。
私が嫌だと思うやり方で、コミュニケーションをとられたら、それは彼も嫌になって当たり前だろう。
私が彼と別れたいと思った理由はまた別問題であるが、自分にもその傾向があると言うことを自覚しているだけで、同じことの繰り返しにならないよう、自身を変えていきたい。
そう強く思った。
婚姻4ヶ月でスピード離婚した私が考える恋愛と結婚の違い
もうすぐ、離婚して4ヶ月を迎え、結婚してから離婚までと同じ期間が経つことになる。
この4ヶ月間、何度も何度も
「一体わたしの何がダメだったんだろう」
と考えた。
先日からカウンセリングにも通っており、そこでの気づきをきっかけとして、7年間も人間関係を築いてこれたパートナーと別れるに至った要因を整理したいと思った。
結婚前と結婚後で何が大きく変わってしまったのだろうか。
ここに3つの大きな違いを挙げていきたいと思う。
①参加メンバーが増える
②期待する役割が変わる
③共有する内容が重くなる
この1つ1つを意識できていれば、もう少し違った結果が出せたのではないかという自分への反省も込めて、詳細について書いていく。
①参加メンバーが増える
〜2人の世界か、家族同士の結びつきか〜
今どき、「結婚は家同士の結び付きだ」なんて古いと思っていないだろうか?
私は実際そう思っていた。
しかしながら現実問題、両親をはじめとした、自分の家族、相手のご両親、親戚との関わり合いは絶縁でもしていない限りは切っても切れない。
2人の世界だった恋愛から、結婚によってその関係性に関わる新メンバーが増えるのだ。
結婚式1つをあげても、主に取り仕切るのは新郎新婦であっても、そこに参加する親族への調整が必要になる。
また、子供が生まれたら祖父母にも会わせたいと思う人が世の中の大半ではないだろうか。
その時点で、もう彼との関係は2人きりの世界ではいられないのだ。
私自身、自分が苦手な母には極力合わせずに7年間付き合ってきた。そういう親である以上、自分が防波堤になり、母と彼との間には必要以上の関係性を築く必要のないよう、最新の注意を払っていたのだ。
それなのに、結婚し、自分が相手の姓になったこと、相手の実家近くに住んだことをきっかけに私は母との距離感が分からなくなってしまい、様々な言及を許すことになってしまった。これは私自身の大失敗であり、反省すべき点だ。
他にも、自分や相手の両親だけでなく、親戚が口を出してくることもあるだろう。
今まで「彼氏」は他人だったが、「夫」は親族なのだ。
自分と相手の2人の間ではなんら変わりのないつもりであっても、周りの家族、親族が同じ意識を共有しているとは限らない。
また、自分の親族が背中から撃ってくるケースもあり得る。
家と家の繋がりなんて古いと一蹴せず、周りの家族、親族がどういう意識、距離感で自分達を見ているかを確認するのは無駄な行為にはならないだろう。その上で、どう意見を取り入れるか、取り入れないのかは勿論夫婦2人で決めることである。
②期待する役割が変わる
〜理想のカノジョと理想のヨメは違う〜
結婚が決まってからというもの、私は彼にイライラすることが多くなった。自分でもコントロールできない苛立ちについて、なぜだろうと当時からずっと不思議だった。
最近その疑問に1つの答えを見つけた。
それは、私が彼に「彼氏」として期待していた面と、「夫」として期待していた面が一致していなかったからではないだろうか。
彼はとにかく優しかった。
私に対し、怒ることは7年間で1度しかなかった。
私が彼の言動に腹を立て、自分の意見を伝えた後に、逆に私への不満がないかと聞いても、不満があったことなど1度もなかった。
不平不満を伝えても逆上することもなく、いつも穏やかで優しい彼氏。そんな一面は彼氏としてはとても理想的だった。
しかし、私が理想としていた「夫」像に求めるものは何でも許してくれる優しさではなく、気づかいだった。
私の体調の悪い日に、家事を率先してくれる気づかい。
先に寝る私を見て、テレビの音量を下げてくれる気づかい。
何で気付いてくれないのかと不満が溜まっていたが、彼の方もそうだったに違いない。
ここからは私の想像にすぎないが、例えば、私は彼女としては100点だったかもしれないが、理想の嫁ではなかった。
付き合っていたころは気にならなかったことがどんどん気になってきて、
「いつまでコスプレ続けるの」
「もっと大人っぽい、年齢に合った服や髪型にしたら良いのに」
と折に触れては今まで指摘さえしてこなかった点に言及する様になった。
彼女だったころは容認できていたことが、自分の嫁となると気になってしまったのだろう。
きっと誰しも、理想の恋人像と理想の配偶者像を持っていると思う。結婚を意識する相手には、理想の恋人かどうかという尺度ではなく、理想の配偶者像に合致しているかをよくよく考えることが重要であると私は言い切りたい。
③共有する内容が重くなる
〜子供、お金、介護に向き合える相手か〜
恋人同士は言ってしまえば、仲のいいだけのただの他人だ。
相手の人生に何も責任を負う必要はない。
だから、相手が子供を何人産みたいと思っていても全く関係ない。ものすごい浪費家でも付き合うことはできる。
それくらいの関係がむしろ健全だと思う。
しかし、結婚するとなると、自ずと相手の人生に対し、束縛する部分や責任が生まれる。
例えば一緒に生活を営むなら、お金の話はするべきだろう。
いろんな家庭事情があるから、子供が欲しいかどうかも意見のすり合わせが必要だ。
将来的には親の介護も必要になるかもしれない。
そのような2人で乗り越えないといけないことが、恋人時代に比べて山積みだ。
楽しい時間を共有すれば良いだけの恋人関係と違って、その人と一緒にしんどいことを乗り越えるのが可能なのかの見極めが重要になる。
ここで私の勘違いを紹介したい。
私と彼の長年の付き合いの中で、私が就職後の研修で遠距離になったり、彼の転勤で遠距離になった期間があった。
こんな苦難も乗り越えたから私と彼はもうこれからも大丈夫だと思っていた。
でもこれはあくまで、彼との私2人の間では大丈夫だっただけである。
1番目の話にも関連するが、結婚してから乗り越えないといけない事柄には2人だけでは完結できないことも多々ある。
そんな問題や課題をお互い正しく認識しているか、またそれを一緒に乗り越える覚悟があるかということは結婚前によくよく検討しておきたい内容の一つである。
ここまで3点に分けて、恋愛していた頃と結婚してからで何が変わってしまったかを考えてみた。
今やほとんどの人が、恋愛から結婚というステップを踏んでいると思う。
恋活、婚活をしている人には、その相手と付き合いたいだけなのか、結婚を前提にした付き合いなのかで、相手を見る観点を是非とも分けて欲しい。
また、今の相手と結婚を考えている人には単純に結婚を恋愛の延長線とせず、2人の間に起きる可能性のある変化について、十分に考えた上で婚姻届にサインをして欲しい。
1人でも多くの人が不幸な結婚をしないように。
そして私自身、もう2度と不幸な結婚をしなくていいように。