ACを克服したい当事者記録

26歳でACからの脱却目指してカウンセリング中。当事者がどうやってACから抜け出すかを記録します。

結婚して気づく母娘関係の難しさ

お引越しシリーズ第2段。


先日の離婚の記事は沢山の方に読んでいただき、励ましのお言葉を頂きました。

本当にありがとうございます。


今日はその記事の冒頭でも少し記している、母との関係の難しさについて、少しずつ書いていきたいと思います


・「寂しい」問題


前の記事の冒頭で書いたが、私がプロポーズされたよ!と報告した時の一言目が「寂しい」だった問題について。私が結婚して、違う家庭を築くことについて、何度となく母は寂しいと言う言葉を使っていた。

今まで一人暮らしをしていた1年半は仕事の都合などで毎月1度は実家に戻っていたが、結婚して新しい家庭を作ると言うことは新しい家庭での生活を優先することになる。

母も私がそうそう帰っては来れなくなることを予期していたのだろう。


しかし、それでは、寂しがる母を置いて結婚していく私は何なのだ。親不幸をしているってことなのか?


そんな葛藤から、母からの電話には出るようにした。結婚式のドレス選びにも連れて行った。


何をすれば母は満足してくれるのか。

どんな要求に応えれば喜んでもらえるのか。

応えても応えても次が出てくるのは今までも散々そうだったのに、どうしてもその「寂しい」に応えないといけないという思い込みが捨てられなかった。


私の結婚は結局親不孝だったのだろうか?

まだ結論が出せずにいる。


・住む場所問題


上記の寂しい問題に関連して、昔から過干渉な母は私と彼の住む場所にも言及したがった。


私と彼の間では、互いの職場の中間地点に住むということで、合意していた。(これも合意していたつもりが後から、俺が譲ってやったになぜかひっくり返って混乱したのはまた別のお話)


そのため、私は彼の実家のある県に住むことになり、私の実家からは電車で1時間強と少し離れた場所に家を借りることとなった。

母は常に、

「少しでもあなたの職場の近くに住んだ方がいい。女性の方が家事の負担はどうしても重くなるんだから」

と言っていた。

その上、子供が出来たら私が手伝いに行ける場所にしてもらわないと手伝えない、とも。


私は彼との話し合いの中で、どちらに対しても母の希望通りにできなかった。


彼に毎朝2つも県境を超えて通勤してもらうのはもちろん、費用の問題もあり、私の職場に少しでも近い駅にすると家賃が高くて説得すらできなかったのだ。


それでも、母は将来的には実家の近くにと言い続ける。


母の希望通りにできない苦しみを私はどうすればよかったのだろう。


・止まらない母


母は前述の通り、寂しがり屋だ。

せめて、声だけ聞きたいと何度も電話がかかってくる。


その裏で私は夫との関係を悩み、思いつめていた。


どんなに苦しい母との関係であっても、親であることに変わりはない。

頼りたいと言う気持ちが湧いてしまうことは仕方ないと思ってはもらえないだろうか。

私が苦しい時に電話がかかってくると、どうしても彼との関係の苦しさをこぼしてしまっていた。


ある日かかってきた電話で、彼が結婚式の費用を払い切れないかもしれないという話をする時に思わず私は泣いてしまった。


母からみたら、寂しいのを我慢して結婚させた娘がお金がないと泣いているわけだ。


当然、母は憤った。そして、彼のお母さんにお金のことだけでなく、結婚生活全般について、一度彼と話してみてほしいと連絡をしたのだった。


しかし、それを皮切りに母は彼のお母さんに私がこぼす彼との関係の苦しさを、相談という切り口ではあったが、連絡するようになってしまった。

義母にとってその連絡は気持ちの良いものではなかったに違いない。

お前の息子がうちの娘にこんなことをしてくる。どうなっているんだ、と意訳するとこうなるからだ。


そうしているうちに、彼のお母さんは母からの連絡が原因で、内科で安定剤をもらい、それを服用しないと生活できない精神状態になってしまった。


それを知らされた時、私は恥ずかしくて仕方なかった。

私に対して、何通も何通もなにかを訴えるLINEを送ってくることは、私の母は多々あった。


しかし、まさか他人様にまでそのようなことをするとは思ってなかったのだ。


彼に謝り、私は母に愚痴をこぼすのを控えた。

そして彼にも負担をかけないように1人で結婚式の準備を進めていた。



彼が自分の友人付き合いを優先して、私との話し合いを何となく後ろ倒しにしたのはそんなタイミングだったのだ。


そして、そのことにショックを受けていた時に、母からの電話がかかってきたのだ。

耐えきれず、母に全て話した。でも、それを彼のお母さんには連絡してはいけないと伝えた。


何度か言ったはずだった。


それなのに、何が彼のお母さんに起きているか知らない母は、彼のお母さんに何通も何通もLINEを出した。

怒り出した母は止まらない。

そうなってしまうと、私がして欲しくないことなど聞こえないのだ。


私が離婚したのは私自身の決断である。

彼との将来に希望がないと思ったからである。


でも、結婚式をキャンセルせざるを得ない事態になったのは、母が、彼のお母さんに攻撃とも取れる行動をし、追い詰めてしまったからである。


後日私は父と一緒に彼のお母さんに謝罪しに行った。もう2度とあんな経験はしたくないなと思う。


・今後の私がやりたいこと


結婚生活の苦しみの中に、母との関係性の苦しみがあったのは事実である。それは結婚生活だけでなく、今までの人生についてもそうだった。


であれば、私はその関係性を整理していかなければ、今後、自分自身が納得できる人生をおくるのは難しいだろう。


そう思って、新居にうつってから、母娘関係の本に手を伸ばしてみた。

家族関係に関するカウンセリングを専門とする信田さよ子先生の本が、私の長年のモヤモヤを一言で言い当ててくれた。


それは、「母への罪悪感」である。


私に限っては、それは母に対しても父に対しても感じるものであるが、母の「寂しい」に応えられない苦しさ、母の希望通り、同じ県内に住んであげられない苦しさは罪悪感と言える。


そしてその罪悪感から、せめて電話には出ないといけない、と電話をとる。

LINEが来れば、どんなに苦しい内容でも(時に母のLINEは長文で、今までの人生の父との関係や私にとっての祖父母との関係で苦しかったことを延々と何通も述べている時がある)読まなくてはならないと思う。

とてもじゃないがLINEをブロックすることなどできない。


でも、私にも生きてみたい人生がある。

それは必ずしも母の望むようなものではないだろう。


であれば、私はこの罪悪感と向き合う術を身につけたいと思う。


同じように、親への罪悪感で苦しむ人は少なくないと言う。

こうやって自分から発信することで、同じような苦しみを持つ人と分かち合えたり、いい方法を共有できたり、そんなことができたらいいなと思っている。


このブログをそんな私の一助としたい。